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メタボ大王さんの長野県の旅行記

上伊那、下伊那地方最大の前方後円墳を見る

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飯田市上郷考古博物館に展示してあった馬齢の出土場所である飯沼天神塚(雲彩寺)古墳と飯田市内をめぐり、翌日、飯田から箕輪町までを下道で走り、道の駅、栗菓子工房、そして箕輪町の松島王墓古墳を見学した。両者は上下伊那でそれぞれ最大の前方後円墳である。飯沼天神塚古墳は雲彩寺の境内にあり雲彩寺古墳とも呼ばれ国史跡に指定された飯田古墳群の一つである。江戸時代に寺の堂宇を改築する際、敷地を拡張するため山を削り取ったところ石室を発見、28点の遺物があり絵図入りの記録が残された。記録には馬鈴・金環の他、鏡2個と鉄地金銅張杏葉4個、辻金具など馬具があった。古墳は馬の埋葬が発掘された上垣外遺跡から200m位の距離でもあり被葬者はヤマト王権との繋がりのある馬匹の生産をした首長とみられている。箕輪町の王塚古墳はその名のとおり敏達天皇の皇子・頼勝親王の墓と伝えられている。欽明・敏達天皇の時代、その宮殿である金刺宮・他田宮に仕えた金刺舎人や他田舎人などの名前が伊那郡や小県郡、水内郡に出てくるが、伊那郡に始まった馬匹生産が信濃全域に広がったことを示している。

長野ツウ メタボ大王さん 男性 / 70代

1日目2020年9月30日(水)

経蔵寺

飯田市

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飯田市上郷別府にある日蓮宗の法輪山経蔵寺。創建は元和3年(1617)に寿量院日泉が開基したと伝えられている。

経蔵寺

飯田市

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山門は桃山時代末期に建てられた元飯田城の桜丸にあった門。赤門が建立されると家老である安冨氏の屋敷門となり、さらに何度か移築を繰り返し経蔵寺の山門になる。切妻、桟瓦葺、一間一戸、薬医門形式の格式の高く、懸魚などの意匠や金具類なども桃山時代の特色を持つ貴重なもので国重要美術品に認定されているよう。

経蔵寺

飯田市

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経蔵寺の北東に円墳のような木立がある。裾に五輪塔や石塔があり、頂上にも石碑があった。近隣の方に聞くと古墳らしいとのこと。この北東に飯沼天神塚古墳がある。

雲彩寺

なかなか雲彩寺に至る道がわからず、結局、先の古墳らしき所から北東に降りた畑の脇に駐車し歩いて寺の正面に出た。雲彩寺は山号は白雉山、曹洞宗の寺院。白雉年間(650〜654年)に創建と伝えられ当初は現在より川下1km程にあったが、明治7(1874)年に現在地に移転された。

雲彩寺

雲彩寺山門説明板。

飯沼天神塚(雲彩寺)古墳

飯沼天神塚(雲彩寺)古墳案内。寺の庫裡の玄関でチャイムを鳴らすと住職の夫人らしき方が出て来られ、パンフレットを手交して「お帰りは声を掛けなくても結構です」と途中まで案内をしてくれた。

寺の庫裏の西側に古墳の入口がある。石室を破壊した所が入口であるが、羨道部と勘違いしてその大きさに驚く。飯田古墳群の多くの羨道口は腰を深くかがめて入っていたので。

石室の奥を壊して入口としたため右側の石は組み替えられたようで上部の巨石が傾いたよう。正面に玄門が見える。石室はの高さは約1.7m。両袖式であることがわかる。

玄門から羨道部を見る。入口が閉鎖されているので奥が暗く距離感がわからない。

しゃがみながら進むが反転ができないくらい狭くなり閉塞感に襲われる。河原石を加工せず積み上げているよう。

これ以上進めない位置まで。何やら記念品を置いて行った方がいる。そのまま後ずさりして戻る。

石室は広く天井も高い。左側の石積みが乱積みのようで江戸時代に積み替えたものか。

前方部から後円部を見る。以前は古墳全体に杉林であったが檀家の人達が切ったとのこと。切り株がそのまま残っている。寺の建物が古墳ぎりぎりに建てられている。古墳の巨石を見て敷地の拡張を止めたのではないか。

古墳全体を見る。右手の前方部の一部が墓地となっている。馬の埋葬が発掘された上垣外遺跡は正面方向先200m位の距離にある。現存する馬鈴2個と江戸時代の出土記録には鉄地金銅杏葉4個と辻金具などがあり、牧監に相当するような首長の墓ではなかったか。博物館では断定をしていないが、寺のパンフレットの「馬鈴は6世紀前半に新羅でつくられたと云われている」との説明は鉄地金銅杏葉、辻金具からも推定される。

飯田市動物園

買い物をしようと飯田市動物園脇の駐車場に駐車したので動物園(無料)も覗いてみた。

りんご並木と三連蔵

飯田市

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収穫時期を迎えるりんご。以前は中学生のりんご収穫などがニュースになっていたが。

飯田市川本喜八郎人形美術館

飯田市

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川本喜八郎人形美術館は休館であった。人形フェスティバル開催の飯田の代表。

まちなかインフォメーションセンター(飯田市商業観光課内)

飯田市

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観光パンフレットなどをいただいた。コロナ対策で透明ビニール越し。

2日目2020年10月1日(木)

紅屋洋菓子店本店

お土産に焼き菓子を購入。

りんごの里農産物直売所

「マツコの知らない世界」でマツコが絶賛した飯田の新高梨(にいたかなし)を買いに立ち寄ったが売り切れていた。南水が多かった。松川町、飯田市の梨では幸水、豊水などが主流だったがどんどん新しい品種が開発されている。

道の駅 花の里いいじま

飯島町(上伊那郡)

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飯田から県道15号線で飯島町まで。りんご、ぶどう、梨、栗、キノコなど秋のものがどっさり。栗と味付け馬肉を購入。

信州 里の菓工房

妻が是非食べさせたいと寄りましたが「栗のできたてモンブラン」は時間がかかるようなので栗ソフトで我慢。私は古墳に頭が行っていたがやはり食べておけばと後悔。

松島王墓古墳

箕輪町(上伊那郡)

「松島王墓古墳」を   >

秋葉三尺坊大権現、深澤鎮火社参道の看板が目印。右手の森が「松島王墓古墳」

フェンスがあり中へは入れない。古墳全面が杉林となっている。

松島王墓古墳案内板。古墳の数は圧倒的に上伊那の方が下伊那より少ない。しかし馬の埋葬が多い下伊那に牧がないのに、上伊那には笠原牧、宮所牧、立野牧、小野牧、平出牧と数多くの牧、荘園が造られて行く。更に、鞴羽口(ふいごはぐち)、鉄滓(てっさい)の遺跡が、この箕輪町と伊那市に多数出土しており、鉄遺跡については上伊那の方が下伊那を圧倒する。天竜川を望む河岸段丘上に築かれた古墳の被葬者は牧場と鉄器技術を持つ集団の首長であった筈だ。

上伊那、下伊那地方最大の前方後円墳を見る

1日目の旅ルート

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