Shotaさんの岩手県の旅行記
一気に長駆盛岡まで ! 帰路、盛岡城址から一関まで、城址、館址を探索
- 1日目2020年10月24日(土)
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21:00-23:00
ホテルブライトイン盛岡
久方ぶりに落ち着いた居酒屋の個室で歓談のひと時 ! 夜も更けて盛岡城址公園の近くのビジネスホテルに投宿。Go To 下というのに、あまり宿泊客がいないようで気の毒。
- 2日目2020年10月25日(日)
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00:00-07:00
ホテルブライトイン盛岡
よーく寝て、6時前に起床。ひとっ風呂浴びて、簡単な朝食。7時に出発。
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07:00-07:00
岩手銀行赤レンガ館
雨の中の「岩手銀行旧本店本館」。通称岩手銀行赤レンガ館。旧盛岡銀行の建物として、建築界の巨匠辰野金吾と盛岡出身の葛西萬司により1911年(明治44年)4月竣工。今も威風堂々たる雄姿を見せている。
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07:00-07:00
盛岡城の築城は桃山時代に遡るとされる。南部信直が1593年(文禄元年)工事に着手するが、1599年(慶長4年)に没し、紆余曲折を経て1633年(寛永10年)重直の代に完成。41年かかっている。「日本の歴史公園100選」に選定されている城域は、2006年(平成18年)に開園100周年を記念して「盛岡城跡公園」と名付けられた。『日本城郭大系 2』
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07:00-07:00
盛岡城跡公園図
本丸を中心に、淡路丸、腰曲輪、榊山稲荷輪、二の丸、三の丸の跡を見ることができ、三の丸近くに南部家33世利視建立の櫻山神社がある。
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07:00-07:00
盛岡城の石垣
榊山稲荷曲輪下、寺勾配(穏やかな勾配)の石垣の見せる独特なカーブ。特徴的だ。他にも時代や組み上げ手法の異なる石垣が見られる。三の丸下には石垣普請奉行銘石がある。
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07:00-07:00
見前館址
見前館(みるまえだて)址。盛岡市西見前にあった城。築城時期は不明。斯波氏の家臣見前氏の本拠地で、1588年(天正16年)斯波氏滅亡の時期には南部方、日戸氏が館主となっていたとされる。
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08:00-08:00
乙部館址
乙部館(おとべだて)址。盛岡市乙部にあった城。築城年代は不明。斯波氏家臣乙部兵庫の居城と伝わる。同氏族滅亡後は南部家臣・福士右衛門尉が入ったとされる。
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08:00-08:00
徳丹城址
徳丹城は岩手県紫波郡矢巾町徳田にあった古代城。813年(弘仁4年)征夷将軍・文室綿麻呂によって築かれた古代城柵官衛であった。『日本城郭大系 2』
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08:00-08:00
徳丹城域
徳丹城域からは「古代琴」、「『別将』銘墨書土器」、「高盤(大皿)」、全国初の「木製冑」などが出土しているという。
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08:00-08:00
高水寺城址
高水寺城は岩手県紫波郡紫波町にあった城。築城は1335年(建武2年)斯波家長による。この時期、足利尊氏が斯波高経の長子家長を奥州管領として下向させて勢力拡大をはかった。『日本城郭大系 2』
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08:00-08:00
郡山城 (高水寺城)域
高水寺城域は紫波郡のほぼ中央に位置する独立丘陵地帯であって、周囲の穀倉地帯を一望でき、城山と呼ばれた。現在は「城山公園」になっている。『日本城郭大系 2』
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08:00-08:00
高水寺城址
家長以後、斯波氏は隆盛をきわめた時期もあったが、1588年(天正16年)南部信直の侵攻により滅亡。信直は城名を郡山城と改名。1667年(寛文7年)廃城となり、古材は盛岡城本丸に用いられたといわれる。『日本城郭大系 2』
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09:00-09:00
樋爪館址
樋爪館(ひづめだて/ひづめのたち)は岩手県紫波郡紫波町日詰にあった城。藤原俊衡による築城とされるが、時期は不明。藤原清衡の子清綱が一帯から産出する砂金を支配するためこの地に住したことに始まるとされる。『日本城郭大系 2』現在は薬師神社が建つ。
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09:00-09:00
新堀城址
新堀城は花巻市石鳥谷町にあった城。仙台伊達家の流れをくむ稗貫氏の家臣新堀氏の居城といわれるが、築城の時期は定かではない。新堀氏は秀吉の奥州仕置により離散。『日本城郭大系 2』
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09:00-09:00
寺林城址
寺林城は1279年(弘安2年)花巻市中寺林に河野伊予守通俊の次男通重が築いた城。翌年創建の光林寺が城域の南面にある。『日本城郭大系 2』
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10:00-10:00
花巻城址
復元された花巻城西御門。花巻城はすでに存在していた鳥谷ケ城を、南部信直により花巻城代に任ぜられた北秀愛が1591年(天正19年)改修・整備し花巻城とした。『日本城郭大系 2』
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10:00-10:00
花巻城本丸域
花巻城域は花巻市の中心部より北上川縁に広大な台地一帯を占めていたが、都市部、工場、住宅地の広がりとともにその面影を失ってしまった。『日本城郭大系 2』
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10:00-10:00
花巻城本丸跡
本丸跡、上記の西御門などを中心に歴史公園になっている。遺構としては、円城寺門、堀、鐘楼などがある。
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11:00-11:00
十二丁目城址
十二丁目城は花巻市にあった城。稗貫大和守義時の随臣伊藤(十二丁目)氏の居館であったが、築城年代は分かっていない。別称獅子ケ鼻城。『日本城郭大系 2』
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11:00-11:00
二子城の築城は室町初期、和賀氏によるとされている。和賀氏の祖、多田式部大輔忠明が1191(建久2年)年に宮城県刈田郡より更木梅ケ沢を経てこの二子飛勢森に移ったという。この地域の和賀氏支配の背後には南部氏と伊達氏のせめぎあいがあったようである。『日本城郭大系 2】
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11:00-11:00
二子城碑
二子城址に建つ和賀氏の治績顕彰の碑。「奥州藤原氏滅亡後、豊臣秀吉の全国統一まで、三百数十年にわたり和賀郡地方を治めた」と記されている。
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11:00-11:00
江釣子城址
江釣子(えづりこ)城は北上市にあった城。築城の時期は定かではないが、和賀氏の屈指の重臣江釣子(高橋)氏の居城であった。『日本城郭大系 2】
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11:00-11:00
江釣子館跡
江釣子館跡の泉には梵鐘が沈んでいるといわれ、夕闇が迫る頃にかすかに鐘の音が響くという伝説がある。
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11:00-11:00
鹿島館址
鹿島館は北上市にあった城。築城は南北朝期ではないかとされるが、議論もあるようだ。館主は和賀一族の鬼柳氏であるとされる。『日本城郭大系 2』
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12:00-12:00
鳥海棚址
鳥海棚(とのみのさく)は岩手県胆沢郡金ヶ崎町にあった、10世紀末平安期の豪族阿部氏の城柵である。土塁、堀、櫓などの跡が見られる。
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12:00-12:00
鳥海棚址
鳥海柵は、岩手郡の六つの郡、現在の奥州市から盛岡市を支配していた安倍氏一族が築いた12柵の一つ。
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12:00-12:00
胆沢城は多賀城(宮城県)にあった鎮守府を802年(延暦21年)に移したもので、坂上田村麻呂が翌年完成させた。『日本城郭大系 2』
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12:00-12:00
胆沢政庁跡
胆沢政庁の内郭は一辺約88mの柱列で方形に区画され、内郭東辺の中央に東門がある。内郭の位置は外郭南門と北門との中心を結んだ中軸線上にあるが、やや南に寄っている。『日本城郭大系 2』
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12:00-12:00
胆沢城域
胆沢城は前九年の役、後三年の役の起こった時代には鎮守府としての役割を果たしたが、藤原氏が平泉に居を構えた12世紀に入るとしだいに形骸化していったと考えられる。『日本城郭大系 2』
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12:00-12:00
水沢城址
水沢城は奥州市水沢にあった城。室町期後半に将軍足利義持の禁衛士であった佐々木氏が築いたものではないかとされている。佐々木氏は葛西氏に仕えたが主従共に没落。伊達家臣白石氏の居城となった。『日本城郭大系 2』
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13:00-13:00
白鳥館址
白鳥館は奥州市前沢にあった城。平安末期、安倍貞任の弟白鳥八郎安倍行任が築いたとする記録があるが、藤原真衡の館とも伝わる。『日本城郭大系 2』 雨に濡れた斜面で滑ってしこたま背中を打った ! 嗚呼 !!!
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13:00-13:00
接待館は奥州市衣川にある平安時代の遺跡。ここを居館とした藤原基衡の妻が、慈善事業として関道を往来する旅人を接待したり、施しをしたので「接待館」と呼ばれたと伝わる。
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13:00-13:00
接待館図
この遺跡は平泉町の柳之御所遺跡に匹敵する大きさの居館であり、出土した物などから奥州藤原氏の祖先である安倍氏の政庁跡と推測されている。
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13:00-13:00
接待館周辺図
接待館遺跡をはじめとする四遺跡から、12世紀奥州藤原氏時代の遺構が広範囲に発見され、三代目秀衡の母の居館で、平泉府の迎賓館であったと推測されている。
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13:00-13:00
柳之御所遺跡は平安末期の遺跡。『吾妻鏡』に記されている、奥州藤原氏の政庁・平泉館(ひらいずみのたち)跡と推定される。
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13:00-13:00
柳之御所址
柳之御所は奥州藤原氏初代清衡が江刺郡豊田館(奥州市)から移って居を構え、三代秀衡が政庁・平泉館として再整備したとされる。中尊寺の南東に位置し、北西山上の金色堂を望むように造営されたという。
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13:00-13:00
柳之御所域
現在、遺跡面積約10ヘクタールのうち約5ヘクタールが柳之御所史跡公園として整備され、池、堀、道路などが復元されている。なかなか広大である。
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14:00-14:00
藤原の郷は1993年(平成5年)開園。大河ドラマ『炎立つ(ほむらたつ)』撮影の為のオープンセットを歴史公園として整備したもの。
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14:00-14:00
藤原の郷 伽羅御所
奥州藤原氏の祖先である藤原経清と平泉を創設した奥州藤原氏初代・清衡が居を構えた豊田館跡の近くに造られたもの。
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14:00-14:00
藤原の郷 伽羅御所中庭
おりしもコスプレ大会が開かれており、色とりどりの衣装に身を包んだ若者たちであふれていた。縁のないジジイはそそくさと退散…。
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14:00-14:00
藤原の郷
ちょうど「江刺鹿踊」が披露されていた。身につけた太鼓を打ちながら踊る「太鼓踊系鹿踊」と呼ばれるもの。鹿角のついた頭と背負った長いササラが印象的。チビちゃんが途中で帰ろうとして慌ててもどる姿が微笑ましかった。
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15:00-15:00
一関城は大同期(806-809年)には坂上田村麻呂の陣地となったといわれ、天喜期(1053-57年)には安倍貞任の弟・磐井五郎家任の砦に、康平期(1058-64年)には源頼義・義家親子の陣地となったと伝わるが定かではない。現在は釣山公園になっている。
一気に長駆盛岡まで ! 帰路、盛岡城址から一関まで、城址、館址を探索
1日目の旅ルート
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