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メタボ大王さんの長野県の旅行記

根塚遺跡(木島平村)に伽耶の影を追う

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1996年6月、木島平村の根塚遺跡から渦巻紋装飾付鉄剣が出土し日本中を驚かせたが四半世紀を過ぎた今も日本で唯一の存在として謎は解けないままである。渦巻紋装飾を含めた3本の鉄剣は成分から朝鮮半島南部の伽耶で造られたとされる。韓国金海市周辺の古墳から同様な装飾の鉄剣が出土している。また、山頂付近から「大」と刻まれた土器のカケラが出土している。朝鮮半島南部で出土した「大」と特徴が似ている。弥生時代に鉄剣と文字があったとするより、伽耶地方の渡来人がこの地に入った時に持ってきた考えるのが自然だ。5年前に木島平村を訪ねたが、昨年の台風19号で甚大な被害を出した飯山・木島を再訪した。弥生時代に千曲川と樽川の後背湿地に水田を開拓した人々も水害と闘い治水を神に祈っただろう。渦巻紋装飾付鉄剣を含めた2本は頂上から西側に下った場所で剣先を樽川に向けて埋納されていた。その下から木槨墓も出土しているが剣の向きから副葬品ではないよう。剣先を西側の樽川、その先の千曲川に向けて川の氾濫を鎮めようとの祈りのようでもあり、更にその先は聖山・妙高山に向いている。伽耶は科野であり信濃となる。縄文王国であったシナノに怒濤のように渡来人が入植する。狩猟生活をしていた縄文の蝦夷に対し、米と馬と青銅や鉄などを携えた人々は河川の後背湿地や河岸段丘の扇状地などを開拓しながら弥生文化を定着させた。タテミナカタの諏訪神に収斂される物語は、出雲、北陸を経由した渡来人が上越から陸路で、また信濃川を船で遡って北シナノに入っただろう。シナノへは伽耶、高句麗、百済、新羅など半島の様々な人々が入って来たことがわかる。縄文とは違った新たな栗林式や箱清水式土器を造りだした人々はシナノの東から群馬・埼玉まで及んでいる。広大な関東平野には水田開発に伴う人口増大と富の集積により巨大な古墳が造られた。埼玉県の稲荷山古墳から出土した鉄剣は国宝となっているが、根塚遺跡の鉄剣も「大」文字の土器とともに国宝級な遺物だ。この地に来た伽耶の人達は「伽耶」を残さず千曲川を遡ったようで、埴科の森将軍塚の石室の方角に「生萱」(いきがや:生まれが伽耶)の地名がある。まあ、木島平にも「カヤの平」というブナ林で有名な高原もあるが。

長野ツウ メタボ大王さん 男性 / 70代

1日目2020年10月2日(金)

うなぎ専門店 本多

飯山・木島へ行くので昼食を「ボクチそば」か「うなぎ」か同行者に聞いたところ、あっさり「うなぎ」となった。過日の旅行で下諏訪・岡谷で食べることができなかったからのよう。今回は、私も初めての飯山市のうなぎの名店「本多」。昨年10月の台風19号で飯山市街地が浸水被害にあった場所。県外車も多数あり人気が伺える。20分位の待ちで入ることができた。千曲川の支流である皿川が氾濫し1階のレジ付近まで浸水したが、秘伝のタレは2階に上げ大丈夫だったよう。

敷居が高く入ったことがなかったが、いつかは食べてみたいと思っていたうな重。うなぎの美味しさがわかる甘み控えめの味。

道の駅 FARMUS木島平

木島平村(下高井郡)

「道の駅 FARMUS木島平」を   >

本多から中央橋で千曲川を渡り道なりに行くと道の駅FAMOUS木島平となる。ここで雄山火口(おやまぼくち)を使用したそばを食べようと思っていたが、高額なうなぎを食べてしまったので産直品を覗きに。

鳥出神社

飯山市下木島の鳥出神社の大欅(けやき)。巨樹の案内があり訪ねた。周囲9m、樹高32m、樹齢1400年の立派な欅があったが積雪で幹本体が倒伏したよう。だが上部は枝を伸ばしておりウロの中心に若い欅が出ていた。下木島の標高は314mであり千曲川と樽川の河川敷315mより低い。両川に挟まれた地区であり、堤防がなければ浸水する地域。古代から近世まで千曲川、樽川、馬曲(まぐせ)川が縦横無尽に流れを変えてきた場所だ。

樽川橋ポケットパーク

樽川橋ポケットパークにある四塚の石碑。飯山市木島から木島平村に入る。

左端の平塚、中央に小塚、大塚、右端に根塚。田園地帯に四つの塚が浮かぶ。洪水の時は四つの塚が海に浮かぶ四つの島になったよう。

樽川橋から見る高社山と樽川。この直ぐ上流で樽川と馬曲川が合流している。

平塚遺跡

樽川橋を渡り西宮神社を右に入ると平塚がある。以前に訪問した時は頂上付近まで車で上がれたが今回は中腹まで。市有地もあるが個人所有地もあり荒れていた。平塚の名称であるが古墳ではなく自然丘陵。しかし、弥生後期の遺跡が出土している。頂上は標高342mで周囲が315mなので高さは30m弱。

大塚遺跡

平塚を南に根塚方面に進み中間で東に進むと大塚と小塚がある。東に回ると上り口がある。巨大な古墳のようであるが東西約200m,南北約130mの丘陵地で、山頂には弥生遺跡、古墳もあり鉄剣が出土したと伝わる。頂上は標高364m。

大塚東側の上り口案内。

大塚頂上の祠。明治の頃、石包丁がみつかり古墳もあった。鉄剣が出土したと伝わりどちらも東京帝国大学人類学教室に寄贈されたがその後照会したが回答がないよう。大学との共同発掘、寄贈されたものは地域の宝になっていない。地域にあっても盗掘されたり破壊散逸することも多く、歴史の長い日本ではどこでも遺跡の上だ。

小塚

小塚。四つの塚の内、唯一つ発掘されていないのが小塚。大塚の近くにあるので小さく見えるが近づくと径40m位の円墳様。

大塚

小塚から根塚に向かう途中から見る大塚。奈良の箸墓古墳を少し小さくした位。

根塚遺跡

北東方向から見る根塚遺跡。

根塚遺跡

根塚遺跡入口。他の三つの塚と比べると扁平な塚。頂上の標高は330mで高さは約10m。しかし、周囲は田んぼであり古墳のように見える。

根塚遺跡

入口にある根塚遺跡案内板。縄文時代から平安時代までの遺跡がある。自然丘陵地で左裾野に縄文住居跡が発掘されている。頂上には弥生時代の木棺墓と周溝墓跡と鹿角装鉄剣が右裾に弥生時代の鉄剣2本と木棺墓が出土している。1本は渦巻紋装飾鉄剣で3本とも鉄の成分、渦巻紋装飾から伽耶で製造されたものではないかとされたが、刀身と柄の軸がずれており東日本だけに使われるものであり未だに謎の鉄剣である。

頂上の様子。周溝墓等は埋め戻されている。

頂上にある根塚遺跡案内板。消えかかった文字が遺跡の状況を示している。シナノの弥生から古墳時代の先進地と思われる地籍だが明日香村のようにはならない。

根塚頂上から南方の高社山を見る。北の斜面なので雪がいつまでも残り、現在ではスキー場としてリフトは頂上まで行ける。反対の南山麓は中野市の果樹園である。この山を境に北は岳北消防組合(飯山市、木島平村、野沢温泉村、栄村)、南は岳南消防組合(中野市、山ノ内町)である。この先に馬曲川と樽川が左方から右方に時計回りに流れている。

西へなだらかに傾斜している。右の裾付近で1号鉄剣、2号鉄剣(渦巻装飾付)が埋納され、その下から7号木棺墓が出土、周囲から箱清水式土器6個が出土している。この先は馬曲川の堤防と樽川の堤防が重なるように平行に走っている。左から右に流れている。更に西側には千曲川も流れている。この先までは洪水の氾濫地であり家がない。中央付近には妙高山が見えるがこの日は曇っており見えなかった。川の氾濫から墓を防ぐため西側には河原石が厚く積み上げられていた。積石塚のようでもあるが、河原から遠かったためか封土にしたか。

晴れた日に再訪。根塚遺跡から見る聖山:妙高山。11/19撮影。1、2号鉄剣の剣先は木棺墓の向きとは関係なく樽川、千曲川方向、そして妙高山に向いているという。頂上ではなく裾野に埋葬された被葬者は洪水からの人柱のようだ。弥生・古墳時代の馬曲川は根塚遺跡より遥に東方を流れていたよう。千曲川が現在より東方をに流れることもあり、樽川、馬曲川は押されて東方に流れていたよう。妙高山は修験の山ともなるが弥生時代でも信仰の対象であった筈だ。まして半島から渡来した高句麗の人達にとって妙高山とは国の山だ。

根塚から北方の平塚を見る。こちらも洪水の浸水地域であり家はない。

木島平村 農村交流館

遺跡から車で5分位にある農村交流館。根塚遺跡などの出土品を見ることができる。収蔵庫のような部屋に担当の方が鍵を開けて案内をしてくれた。無料。

根塚遺跡説明図。窓の無い部屋で暗い。

発掘時の状況。1996年6月、標高の低い根塚を削って田んぼにしようとしたところ3つの渦巻飾りが付いた鉄剣が出土し、しかも周囲の土器から弥生時代のものであり全国的に注目を浴び全体を発掘調査した。

上が1号鉄剣、下が2号鉄剣。2号鉄剣は全長74pで柄の部分に三つの渦巻飾りがつき、日本にも朝鮮半島にも同じものは1本も見つかっていない貴重なものだ。墓と関係なく埋納されており治水の祈りしか考えられない。係の方も「剣先は樽川に向いており、その先は妙高山です」と話していた。この話しから妙高山の見える日に再訪してみた。

鉄剣の説明。写真は渦巻紋付鉄剣(2号鉄剣)。

2号鉄剣の複製品。柳沢遺跡の銅鐸も複製を制作していたが、同じものを造ってみると当時の工人がいかに優れていたかがわかる。

頂上付近の6号木棺墓から出土した鹿角装鉄剣(3号鉄剣)の複製品。

根塚遺跡出土の土器。頂上の6号木棺墓を取り囲むように4群に置かれていたよう。箱清水式土器で東北信から群馬・埼玉まで使用されていた。「赤い土器」といわれている。長野の善光寺の北側が箱清水であり、ここから出たものを基準に箱清水式としている。根塚遺跡は赤い土器のクニの最北端に位置するが、赤いクニの人々が善光寺を創建して行くことになる。

朝日ゴウロ古墳

根塚遺跡から北東の木島平村役場近くに積石塚古墳の「朝日ゴウロ古墳」がある。大きなエノキが有り直ぐわかる。(2015.11.6) 積石塚に封土したようで根塚遺跡に似ている。

朝日ゴウロ案内(2015.11.6) 刀、鏃、玉類、土器などが出土。

鬼の釜古墳

朝日ゴウロ古墳から東方約500mの集落の中に「鬼の釜古墳」という積石塚古墳がある。(2015.11.6) 横穴式と思われるが石が露呈している。付近には誉田別神社がある。

鬼の釜古墳案内(2015.11.6)。

和栗古墳

下高井農林高校北側の瑞穂木材の北側の小路を入って行き畑の中を探してようやく発見した和栗古墳(2015.11.6)。合掌形石室が露出している。

和栗古墳案内(2015.11.6)。出土遺物に直刀4振り、鉄鏃、轡、銅鐸、勾玉、管玉、切子玉、土師器があったが、直刀のみを保管。銅鐸が残っていたら柳沢遺跡のような騒ぎになっていたか。明らかに渡来人の墓だ。

根塚遺跡(木島平村)に伽耶の影を追う

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