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Shotaさんの京都府の旅行記

京都に二泊三日。秋の古刹・神社・史跡・二条城などを堪能。

  • 一人
  • 1人
  • 芸術・文化
  • 史跡・歴史
  • 格安旅行

先回途中で切り上げた京都観光を再度。幕末の史跡、寺院・神社、二条城などを巡った。紅葉には少し早かったが、永観堂、龍安寺の石庭など久方ぶりの京都を楽しんだ。宿泊は西本願寺境内の聞法会館。

歴史ツウ Shotaさん 男性 / 70代

1日目2020年10月28日(水)
08:00-09:00

伏見稲荷大社

旧称は「稲荷神社」。創建は和銅年間(708年-715年)と伝わる。全国に約3万社あるとされる稲荷神社の総本社である。

08:00-09:00

伏見稲荷大社

京都市伏見区

「伏見稲荷大社」を   >

千本鳥居の「朱」すなわち「あけ」という語は赤・明・茜など、希望を表し、生命・大地・生産の力に対する信仰が宿るという。鳥居の奉納は江戸時代に興り今日の「千本鳥居」を形作っている。

08:00-09:00

伏見稲荷大社 楼門

この楼門は天正17年(1589年)豊臣秀吉造営とされてきた。事実、1973年の解体修理で「天正17年」の墨書が発見され、確認された。かなり大きい楼門である。

09:00-09:00

寺田屋

京都市伏見区

「寺田屋」を   >

伏見の船宿「寺田屋」は今も健在。いかにも京都らしい。鳥羽伏見の戦(1868年)に罹災し焼失。現在の建物は再建されたものである。

09:00-09:00

寺田屋

坂本竜馬遭難の碑。慶応2年(1866年)正月21日、龍馬は伏見奉行所の捕方に襲われたが難を逃れた。この時役人二人を射殺、薩長同盟の重要書類を残したことが後の近江屋事件に繋がったという。文久2年(1862年)4月23日には、薩摩藩急進派有馬新七以下35名が関白九条尚忠と京都所司代の殺害を計画。藩主島津久光の命により有馬以下9名が殺害されるという事件の舞台ともなった。

09:00-10:00

近江屋跡

慶応3年(1867年) 12月10日、坂本龍馬と中岡慎太郎、龍馬の従僕山田藤吉の三人が殺害されたのが近江屋であった。実行犯については諸説あるが、幕府京都見廻組によるという説が有力。龍馬31歳、中岡29歳、藤吉19歳であった。

09:00-10:00

近江屋跡

龍馬は薩摩藩の定宿寺田屋を宿舎としていたが、寺田屋事件後三条河原町近くの材木商酢屋を拠点とし、この時期には近江屋に移っていた。醤油商の近江屋は土佐藩の御用を務め、その屋敷は土佐藩志士の本拠となっていたようである。

09:00-10:00

土佐藩邸跡

土佐藩邸は木屋町通蛸薬師角にあった。高瀬川に面して門が開かれ、高瀬川には土佐橋が架かっていた。藩邸はいわば大使館のような機能を持ち、公的な折衝の本拠となっていた。

09:00-10:00

土佐藩邸跡

土佐藩邸跡。龍馬は二度脱藩している。その罪は許されたが、郷士の出であったこと、また堅苦しさを嫌ってか、あまり出入りすることはなかったようである。

09:00-10:00

高瀬川

高瀬川は森鴎外の短編『高瀬舟』の舞台である。江戸時代初期(1611年)角倉了以・素庵父子によって物流用に開かれた運河。江戸から明治にかけて様々な事変を静かに見つめてきたのだろうか。

09:00-10:00

坂本龍馬寓居跡

三条通一筋南の材木商「酢屋」の六代・嘉兵衛は志士たちの活動を援助し、龍馬は酢屋の二階表西側に寝泊まりしていた。現在一階が店舗、二階が「龍馬ギャラリー」になっており、龍馬の遺品、海援隊文書などが展示されている。

09:00-10:00

海援隊本部

酢屋の二階は龍馬らが結成した貿易会社海援隊の屯所にもなっていたため、陸奥宗光、長岡謙吉ら多くの志士が投宿していた。玄関脇に海援隊隊員名一覧が掲げてある。

09:00-10:00

池田屋跡

池田屋は三条木屋町にあった旅館。1864年、京都守護職配下の新撰組が長州藩・土佐藩などの尊王攘夷派の志士たちを襲撃するという事件が起こった。

09:00-10:00

池田屋跡

1864年7月8日の22時すぎ、20数名の尊攘派に対し近藤勇、沖田総司、永倉新八、藤堂平助の四人が突入し戦闘を開始。結果、尊攘派の吉田稔麿、宮部鼎蔵ら七人が落命した。

09:00-10:00

長州藩邸跡

桂小五郎像が長州藩邸跡に立っている。長州藩尊攘派の中心人物。明治維新三傑の一人。維新後、参与などを務め、五箇条のご誓文、版籍奉還・廃藩置県など多くの政策に携わった。

09:00-10:00

長州藩邸跡

長州藩邸は木屋町通西入ル北側一之舟入町(京都ホテルオークラ前)にあった。経済活動や京都の有職故実や情報の収集などの役割をおった。長州藩士だけでなく、脱藩してきた尊攘派の者が多く身を寄せていたという。

09:00-10:00

福井藩邸・橋本左内寓居跡

橋本左内は幼少時からの俊英、長じて漢方医学・洋学・医学を修め、藩主松平慶永(春嶽)に重用されて藩学明道館の幹事に任ぜられた。また、由利公正らと藩政改革にも手腕を振るった。

09:00-10:00

福井藩邸・橋本左内寓居跡

福井藩邸は二条城東門の真向かい。16代藩主松平春嶽は幕末四賢候の一人と謳われた。将軍家定の継嗣問題で一橋慶喜を擁立し井伊ら南紀派と対立。大老となった井伊直弼主導の安政の大獄により、腹心左内は1859年処刑された。享年26歳。

09:00-10:00

薩摩藩邸跡

御所の北側、現在の同志社大学のキャンパスに薩摩藩邸があった。敷地は5805坪(約19,000平方m )あったという。坂本龍馬らの奔走による薩長同盟締結の舞台となった。

09:00-10:00

薩摩藩邸跡

上記寺田屋事件で深手を負った龍馬を長州藩士三吉慎蔵は身を挺して守り抜き、薩摩藩邸に助けを求めて龍馬は九死に一生を得た。

10:00-10:00

壬生寺

京都市中京区

「壬生寺」を   >

壬生寺は律宗(総本山は奈良・唐招提寺)大本山の寺院。正暦2年(991年)園城寺(三井寺)の僧快賢により開基と伝わる。本尊は地蔵菩薩。

10:00-10:00

壬生寺本堂

壬生寺本堂。幕末期、寺の北側の八木邸に新撰組(壬生浪士組)の屯所が置かれ、当寺境内は兵法調練場とされた。近藤勇の銅像、隊士の墓壬生塚がある。

10:00-11:00

金戒光明寺

京都市左京区

「金戒光明寺」を   >

金戒光明寺山門。紫雲山金戒光明寺は浄土宗の寺院。七大本山の一つ。創建は承安5年(1175年)法然によるとされる。

10:00-11:00

金戒光明寺 御影堂(大殿)

金戒光明寺本堂。法然75歳時の肖像を安置。1934年焼失、1944年再建。幕末期会津藩主松平容保が京都守護職に就任、本陣となり、藩兵1,000人が常駐した。また守護職預かりとして新撰組を配下に置いた。

11:00-12:00

東寺(教王護国寺)

京都市南区

「東寺(教王護国寺)」を   >

東寺は東寺真言宗の総本山。教王護国寺とも呼ばれる。延暦15年(796年)桓武天皇開基と伝わる。平安京鎮護のため空海に下賜され、真言密教の根本道場として栄えた。

11:00-12:00

東寺 南大門

東寺南大門。慶長6年(1601年)三十三間堂の西門として建てられた八脚門である。以前の門が1868年に焼失したため1895年移築された。

11:00-12:00

東寺 門柱の埋め木

東寺南大門柱の埋め木。年とともに朽ちていく柱に、丁寧に手当てを施して維持する地道な働きに頭が下がる。

11:00-12:00

東寺 五重塔

東寺五重塔は京都のシンボルである。高さ54.8mは木造塔としては日本一。天長3年(826年)空海により創建に着手、完成は9世紀末とされる。4回焼失、現在の塔は1644年徳川家光寄進による。

11:00-12:00

東寺 金堂

東寺の中心堂宇。東寺が空海に下賜された823年には完成していたと推定される。当初の堂は1486年焼失、現在のものは1603年豊臣秀頼の寄進により再建。入母屋造本瓦葺、一重裳階(もこし)付きで和様と天竺様の併用。薬師如来を中心に日光・月光菩薩が両脇に安置されている。

11:00-12:00

東寺 宝蔵

校倉造の宝蔵。創建当時は南北二棟あり、宝物経巻を収蔵していた。長保2年(1000年)と大治元年(1126年)に焼失、建久9年(1198年)文覚によって再建されたとされていたが、解体修理の結果、創建に近い頃の建立と考えられている。

12:00-12:00

三宅八幡宮

京都市左京区

「三宅八幡宮」を   >

三宅八幡は社伝によると推古天皇の頃、遣隋使小野妹子が筑紫で病に襲われた際、宇佐八幡に祈願し無事帰国できたため、帰国後宇佐八幡宮を勧請し建立したのが始まりとされる。

12:00-12:00

三宅八幡神社

三宅八幡は子供の守り神とされる。かんの虫封じ、安産、学業成就の他、虫退治の効もあるとされ「虫八幡」とも呼ばれる。本殿南側には狛犬ならぬ狛鳩が置かれている。

12:00-13:00

永観堂(禅林寺)

京都市左京区

「永観堂(禅林寺)」を   >

禅林寺は浄土宗西山禅林寺派総本山の寺院。仁寿3年(853年)空海の高弟真紹により開基。当初真言の道場であったが、七世住持永観(ようかん)により念仏の寺へと変化を遂げる。永観堂の名は永観に由来する。

12:00-13:00

禅林寺 (永観堂) 中門

禅林寺中門。総門と中門の間に駐車場があり、年寄りには有難い。紅葉で有名だがまだその時期ではなかった。

12:00-13:00

禅林寺 本堂

阿弥陀堂(本堂)は入母屋造、本瓦葺。慶長2年(1597年)大坂の四天王寺に建立された曼荼羅堂を1607年に移築したもの。本尊「みかえり阿弥陀像」を安置。

13:00-13:00

山源

永観堂門前の蕎麦屋。定番のにしん蕎麦を堪能 ! 近くの南禅寺に向かった。

13:00-14:00

南禅寺

京都市左京区

「南禅寺」を   >

南禅寺中門。隋龍山太平興国南禅禅寺は臨済宗南禅寺派大本山の寺院。開基は正応4年(1291年)亀山法皇による。京都五山、鎌倉五山の上におかれ、全ての禅寺の中で最も高い格式をもつ。

13:00-14:00

南禅寺 三門

創建当時の三門は永仁3年(1295年)西園寺実兼の寄進によったが、焼失。この門は伊勢・伊賀の領主、築城の名手藤堂高虎が大坂夏の陣で戦没した藩士を弔うため寛永5年(1628年)に建立寄進。楼上に宝冠釈迦如来座像、月蓋長者、十六羅漢、などを配置、本光国師、徳川家康、藤堂高虎の木像、一門の重臣、戦没藩士の位牌などが安置されている。石川五右衛門のセリフで知られる。

13:00-14:00

南禅寺三門の柱

永い間風雨にさらされて傷ついた柱。埋め木は施されていないが、朽ちつつなお巨大な三門をしっかり支えている。

13:00-14:00

南禅寺 法堂

南禅寺法堂。釈迦如来を安置する本堂。明徳4年(1393年)と文安4年(1447年)、火災で焼失したが、程なく再建。応仁の乱(1467年)ですべて焼失後、1606年再建されたが1895年再び焼失。1909年に再建された。

15:00-15:00

旧本能寺跡

中京区元本能寺南町にある本能寺跡。織田信長が非業の死を遂げた場所。本能寺の変で焼失した後直ちに再建に取り掛かったが、秀吉が現在の寺町御池への移転を命じた。

17:00-23:00

聞法会館

聞法会館は西本願寺境内にある研修・宿泊施設。といっても部屋はツインで広く、大浴場もあってゆっくりくつろげる。何といっても地の利は最高。

2日目2020年10月29日(木)
08:00-08:00

法観寺(八坂の塔)

京都市東山区

「法観寺(八坂の塔)」を   >

八坂の塔は本瓦葺五層、方6m、高さ46mの白鳳時代和様建築。たびたび焼失したが、その都度再建された。現在の塔は永享12年(1440年)足利善教によるもの。塔内には本尊五智如来像五体を安置してある。

08:00-08:00

法観寺

法観寺は臨済宗建仁寺派の寺院。創建は592年聖徳太子と伝わるが定かではない。しかし、創建時は四天王寺式または法隆寺式伽藍配置であったとされ、平安京遷都以前の寺院であったと考えられている。

08:00-09:00

聖護院門跡

京都市左京区

「聖護院門跡」を   >

聖護院は本山修験宗総本山の寺院。本尊は不動明王。開基は寛治4年(1090年)増誉である。明治まで37代の門主のうち皇室から25代、摂家から12代入寺していることから、聖護院門跡と称する。

08:00-09:00

聖護院 宸殿

聖護院宸殿。江戸時代中期のもの。前の市松模様の白砂場は庭園ではなく修行の場。護摩行なども行われる。宸殿右の書院は江戸時代初期、御所より移築したと伝わる。

09:00-09:00

東天王岡崎神社

京都市左京区

「東天王岡崎神社」を   >

岡崎神社は延暦(794年)桓武天皇による平安遷都の際、王城鎮護のため都の四方に建てられた社の一つとされ、東に位置することから東天王と呼ばれる。

09:00-09:00

岡崎神社 拝殿

岡崎神社拝殿。安産、子授けの神とされると共に創建の由来から方除けの神ともされる。 多産である兎が神使であることから境内にはウサギの石像が点在している。

09:00-11:00

元離宮二条城

京都市中京区

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二条城は豊臣政権の京屋敷、聚楽第の機能を継承。将軍上洛の際の居館として徳川家康が1602年に築いた「公武和合」の象徴であった。『日本城郭大系 11』

09:00-11:00

二条城図

二条城図。現存の遺構は竹屋町通・押小路・堀川・西ノ京式部町に囲まれた、範囲約26万平方メートルで周囲を水堀が囲んでいる。

09:00-11:00

二条城 東大手門

東大手門は北大手門と共に慶長の創建時のもの。櫓門の一種で上重の渡櫓は総漆籠になっている。重厚な印象。他に西門・本丸櫓門・桃山門・鳴子門・北仕切門・中仕切門が現存する。『日本城郭大系 11』

09:00-11:00

二条城 二の丸御殿唐門

二条城二の丸御殿唐門。寛永3年(1626年)後水尾天皇の行幸の際に造営。切妻造、桧皮葺の四脚門で屋根の前後に唐破風がつく。長寿を意味する「松竹梅に鶴」、聖域を守護する「唐獅子」など極彩色の彫刻で飾られている。

09:00-11:00

二条城 二の丸御殿

二の丸御殿は「現存する唯一の城郭内邸宅の遺構。」唐門・車寄・遠侍・式台・大広間・蘇鉄の間・黒書院・白書院から成り、屋内の金壁障屏画は探幽を含む狩野派の彩管による。『日本城郭大系 11』

09:00-11:00

二条城 東南隅櫓

二条城東南隅櫓。外堀の四隅に見張り台として櫓が建てられ、武器庫として使われていた。天明8年(1788年)の大火で他の櫓は焼失、東南隅櫓と西南隅櫓が残っている。

12:00-12:00

北野天満宮

京都市上京区

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北野天満宮一の鳥居。北野天満宮は天暦元年 (947年) 朝廷の命により創建されたと伝わる。主祭神は菅原道真で大宰府天満宮とともに天神信仰の中心である。

12:00-12:00

北野天満宮 楼門

北野天満宮楼門。上部に掛けられた額には「文道大祖 風月本主」と刻まれている。平安中期の学者慶滋保胤 (よししげのやすたね) 、大江匡衛 (おおえのまさひら) が菅原道真を称えた言葉。

12:00-12:00

北野天満宮 紅梅殿

三光門をくぐろうとすると、左手から朗々とした謡いが聞こえてくる。紅梅殿にしつらえられた舞台で謡いと舞が披露されていた。流石に天満宮の境内 ! と納得。

12:00-12:00

北野天満宮 三光門

北野天満宮三光門。本殿前の中門で、日・月・星の彫刻があることから三光門と呼ばれる。実際には星の彫刻はないと言われ「星欠けの三光門」として七不思議に数えられている。

12:00-12:00

北野天満宮 社殿

桧皮葺の社殿は本殿と拝殿が石畳の廊下でつながり、本殿西に脇殿、拝殿の両脇に楽の間を備える八棟・権現造。神社建築の歴史を伝える貴重な遺構である。この社殿は豊臣秀頼が慶長12年 (1607年)に造営したもの。

14:00-14:00

地蔵院(竹の寺)

京都市西京区

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衣笠山地蔵院は臨済宗系の単立寺院。本尊は地蔵菩薩。応安元年 (1368年) 室町幕府管領細川頼之が創建、開基は宗鏡とされる。西京区の鄙びた住宅地にあって気持ちが鎮まる。

14:00-14:00

地蔵院(竹の寺)

一休宗純が六歳で出家するまで母と共にこの寺で過ごしたと伝えられており「一休禅師母子像」が境内にある。参道脇の竹林は鎌倉の報国寺を思い起こさせる。

17:00-23:00

聞法会館

二日目の予定を終えて聞法会館二泊目。

3日目2020年10月30日(金)
08:00-08:00

渡月橋

京都市右京区

「渡月橋」を   >

嵐山付近の桂川にかかる橋。亀山上皇が橋の上空の月を眺めて「くまなき月の渡るに似る」と言ったことから渡月橋と名付けられたという。承和年間 (834-848年) に僧道昌によって架けられたのが最初。現在の橋は1934年に完成。朝早くはご覧のとおりだが、日中は賑やかなこと !!!

09:00-09:00

東映太秦映画村

京都市右京区

「東映太秦映画村」を   >

1975年、太秦東峰岡町に開かれた映画のテーマパーク。時代劇の殺陣ショー、俳優のトークショー・撮影会、キャラクターショーなどが行われている。時間の都合で入場は断念。

09:00-09:00

旧二条城跡

永禄12年 (1569年) この地に織田信長が第15代将軍足利義昭の居城を築いた。二重の堀や三重の天主を備え、庭には泉水・築山を構えた豪華な城郭であったと伝わる。室町幕府滅亡とともに廃城となり、解体された資材は安土城築城に再利用された。

09:00-09:00

聚楽第跡

聚楽第は天正14年(1586年) 豊臣秀吉により大坂城と並行して築かれた。秀吉亡き後、文禄4年(1595年) 城主秀次が高野山に幽せられ、その死後伏見城へ移建された。『日本城郭大系 11』

09:00-10:00

西本願寺

京都市下京区

「西本願寺」を   >

西本願寺御影堂門。龍谷山本願寺は浄土真宗本願寺派の本山。本尊は阿弥陀如来。文永7年 (1272年) 親鸞の廟堂として東山の吉水に創建されたものが転々と場所を移し、天正19年 (1591年) 豊臣秀吉の寄進により大坂天満から現在地に移転した。幕末期には京都守護職預りであった新撰組の本拠となった。

09:00-10:00

西本願寺 阿弥陀堂

西本願寺阿弥陀堂。宝暦10年 (1760年) 再建。東西42m、南北45m、高さ25m。中央に阿弥陀如来の木像、両脇にインド・中国・日本の六高僧と法然、聖徳太子の影像を安置してある。

09:00-10:00

西本願寺 阿弥陀堂門

西本願寺阿弥陀堂門。前後に唐破風のついた檜皮葺切妻造の四脚門。御影堂門と並んである。

10:00-10:00

東本願寺

京都市下京区

「東本願寺」を   >

東本願寺御影堂門。真宗本廟 (しんしゅうほんびょう)は真宗大谷派の本山。東本願寺は通称。 御影堂門は高さ約28m、本瓦葺入母屋造三門形式の二重門。1911年再建。

10:00-10:00

東本願寺 御影堂

東本願寺御影堂。瓦葺重層入母屋造、和様道場形式の堂宇。建築面積は東大寺大仏殿を上回る。宗祖親鸞の座像を安置する。現在の堂は1895年完成。まさに大伽藍である。

10:00-10:00

東本願寺 阿弥陀堂

東本願寺阿弥陀堂。瓦葺単層入母屋造で禅宗様を取り入れた本堂。本尊阿弥陀如来を安置する。この堂も1895年完成である。

10:00-10:00

東本願寺阿弥陀堂門

東本願寺阿弥陀堂門。正背面に唐破風を設けた檜皮葺切妻造の四脚門。江戸時代中頃に「唐門」として建てられたが、現在の門は1911年再建されたもの。

10:00-10:00

賀茂別雷神社(上賀茂神社)

京都市北区

「賀茂別雷神社(上賀茂神社)」を   >

賀茂別雷神社 (かもわけいかづちじんじゃ)。社伝によると神武天皇の頃、賀茂山の麓への賀茂別雷命の降臨により創建とする。主祭神は賀茂別雷大神。 

10:00-10:00

上賀茂神社 楼門

楼門と御物忌川に架かる玉橋。楼門と東西にのびる回廊は寛永5年 (1628年) に建て替えられたもの。

10:00-10:00

上賀茂神社 本殿

上賀茂神社本殿。平入型、檜皮葺扠首切妻流造で国内神社の約六割を占める「流造」の原型である。現在の本殿・権殿は文久3年 (1863年) 造替。いずれにも狩野派による狛犬の絵「影狛」が描かれている。

10:00-10:00

上賀茂神社 立砂

「立砂(たてずな)」。盛砂ともいい「たつ」とは神の出現に由来する。賀茂別雷神が最初に降臨したとされる本殿北北西2km 奥にある円錐形の神山(こうやま)に因んだもので、一種の神籬(ひもろぎ)である。鬼門・裏鬼門に砂を撒き清める風習は立砂が起源で「清めの砂」の始まりとされる。

10:00-12:00

鞍馬寺

京都市左京区

「鞍馬寺」を   >

鞍馬山鞍馬寺は鞍馬弘教総本山。宝亀元年 (770年) 鑑真の高弟鑑禎 (がんてい) 開基と伝わる。本尊は尊天 (毘沙門天王・千手観世音菩薩・護法魔王尊)とする。鞍馬は牛若丸 (源義経) 修行の地として知られる。

10:00-12:00

鞍馬寺 仁王門

鞍馬寺仁王門。創建は寿永年間 (1182-1184年) と伝わるが、現在の門は1911年再建。仁王像は運慶の嫡男湛慶の作とされる。

10:00-12:00

鞍馬寺 本殿金堂

鞍馬寺は京都盆地の北、鞍馬山の南斜面に位置するので、本殿金堂へは仁王門をくぐってケーブルカーで登る。本尊は尊天すなわち「すべての生命の生かし存在させる宇宙エネルギー」であるとする。本殿金堂は1971年再建。

13:00-13:00

貴船神社

京都市左京区

「貴船神社」を   >

貴布禰総本宮貴船神社は国内約450社ある貴船神社の総本山。水神である高?神 (たかおかみのかみ)を主祭神とする。祈雨の神、水の神として信仰を集めている。創建については不明。

13:00-13:00

貴船神社 参道

貴船神社二の鳥居をくぐって参道を登っていく。「映える」スポットとあって、それぞれ好みのポーズで撮っては確かめを繰り返すので時間のかかること…。

13:00-13:00

貴船神社 龍雲閣

拝殿・本殿の向かいにある「龍雲閣」と名付けられた休憩所。神社全体が貴船山の斜面に位置しているので、まるで清水の舞台のような造りになっている。

13:00-13:00

貴船神社 本殿

本殿の前に鴨川の上流である貴船川が流れている。水の神としての信仰とともに縁結びの神としての信仰も集めており、若いカップルやお嬢さん方で賑わっていた。

14:00-16:00

龍安寺

京都市右京区

「龍安寺」を   >

大雲山龍安寺は臨済宗妙心寺派の寺院。宝徳2年 (1450年) 室町幕府の管領細川勝元が妙心寺の義天玄承開山により創建。元は徳大寺家の別荘であった。応仁の乱で焼失、明応8年 (1499年) 勝元の子、政元が再興。

14:00-16:00

龍安寺 山門

龍安寺山門は江戸中期に建立。宝暦5年 (1755年) 洪水により破損したため再建された。まさに幽玄の世界へとわれわれを誘う入口である。

14:00-16:00

龍安寺 山門柱

どの古刹を訪ねても、山門をくぐると柱を見るのが習慣になっている。年月を経て朽ちた味わいが何とも言えない。

14:00-16:00

龍安寺 方丈

方丈。慶長11年 (1606年) 塔頭、西源院の方丈として織田信包 (のぶかね) によって建立。寛政9年 (1797年) 龍安寺の方丈が焼失したため移築された。皐月鶴翁 (さつきかくおう) の龍と北朝鮮の金剛山の襖絵がある。

14:00-16:00

龍安寺 石庭

しばらく眺めていたが、やはり解らない・・・。室町末期 (1500年頃) 特芳禅傑ら禅僧によって作庭されたと伝わる。東西25m、南北10mの庭は無限に広くも見えるし、極端に狭くも感じる。15個の石も実にいろんな物に見える。不思議だ。

14:00-16:00

龍安寺 石庭の壁

石庭の背景となっている壁の外側。菜種油を混ぜた土で造られた油土塀は、時の経過による油の変化がいわゆる土塀とは違った独特の風合いを醸し出している。

14:00-16:00

龍安寺 蹲(つくばい)

方丈の北東に据えてある銭形の蹲(つくばい)。「吾唯足知」(ワレタダタルヲシル)という禅の格言を「口」を中心に図案化してある。水戸光圀の寄進とされる。

京都に二泊三日。秋の古刹・神社・史跡・二条城などを堪能。

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