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メタボ大王さんの長野県の旅行記

小菅修験の里と「阿弥陀堂だより」@

  • 夫婦
  • 2人
  • 芸術・文化
  • 史跡・歴史
  • 自然

北信濃の三大修験の一つ小菅神社を訪ねる。小菅神社は古来、戸隠山・飯綱山と併せて奥信濃三山と称せられた修験道の霊山、小菅山に有り奥社と里社がある。由緒書によると「修験道の開祖、役小角が小菅山に霊山であることを感じ、八所(熊野・金峯・白山・立山・山王・走湯・戸隠・小菅)の神を勧請。その後、行基が本地仏を刻み加耶吉利堂を安置。また、坂上田村麻呂が八所権現の神威で東夷を平定したので八所権現本宮や加耶吉利堂を新たにし元隆寺を建立した」とある。中世においては37の坊が立ち並び人々の信仰を集めた。地元の方に「戸隠の奥社に行くような気持ちじゃ登れないよ」と言われたが、杉並木を登り始めると奥社まで行けるのか不安になった。最後の鎖場を上って見た千曲川の風景に感嘆し、「高名な木登り」のたとえのとおりゆっくり下ってきた。無事に下山した安堵に暗くなりかけた里社と講堂などを急いで回り小菅の里を後にした。腰痛を心配しながらも奥社まで行け少し自信を取り戻した。帰宅してから映画「阿弥陀堂だより」の撮影場所であったことを知り再訪をする必要があるなと感じた。

長野ツウ メタボ大王さん 男性 / 70代

1日目2020年10月26日(月)
10:00-11:00

道の駅 花の駅・千曲川

飯山市

「道の駅 花の駅・千曲川」を   >

千曲川の堤防道路は長野冬季五輪のバイヤスロン会場であった野沢温泉村へのアクセス道路として整備された。

10:00-11:00

早くも野沢菜。今年は今のところ暖冬なので時漬け用である。豪雪地帯だから収穫のタイミングが大切だ。

10:00-11:00

道の駅から見る神戸・福島地区。扇状地の頂上付近に「阿弥陀堂」がある。「阿弥陀堂だより」の映画では四季にわたりここからのシーンが出てくる。手前の千曲川河川敷は雪捨て場であり、吹雪くとホワイトアウトし道路の境がわからなくなる。

11:00-12:00

仁王門

今回は北竜湖の方から迂回したため二の鳥居は通らず小菅入口の仁王門へ。道路は右にそれて直線の参道となるが、本来は仁王門をくぐり奥の石垣を右に曲がりクランク状に参道となっていた。悪霊が真っ直ぐ村に入らないようにとのこと。

11:00-12:00

菩提院

駐車場を菩提院の前にしたので小菅神社里社と講堂などは最後に。菩提院の前身は元隆寺旧48坊の一つ桜本坊である。奥に信濃33番観音霊場第19番札所である馬頭観音堂がある。駐車場で登山靴に履き替えていると地元の方が話しかけて来られた。「真っ直ぐの参道を上から見ると妙高山が見える。この神社は妙高山を意識して建てられている。奥社までは結構急な道だから同じ修験の戸隠の奥社に行くような気持ちじゃ登れないよ」とにこやかに話された。

11:00-12:00

菩提院の案内板。中世、繁栄を極めた小菅山元隆寺は山内に大聖院(上之院)、中之院、下之院の三院を持ち48坊があった。大聖院の桜本坊が現在の菩提院。真言宗で本尊は大日如来。

11:00-12:00

茶処 浅葉野庵

飯山市

「茶処 浅葉野庵」を   >

万葉集には柿本朝臣人麿が小菅と小菅の浅葉野を詠んだ歌がある。浅葉野は小菅村の辰巳の方角で小菅野の隣とある。このお店も歌にちなんだ「浅葉野庵」。遠来の車も多い。

11:00-12:00

杉並木の参道に入る手前の鳥居右手に小菅神社奥社本殿等が重要文化財であることを示す案内板がある。

11:00-12:00

國常立尊の石碑と右手に護摩堂。國常立尊は記紀の最初に登場する神。

11:00-12:00

鳥居前左手に杉並木が県の天然記念物であることを示す案内板。

11:00-12:00

奥社まで1260mの標柱と上杉謙信の祈願文。

11:00-12:00

長尾景虎(上杉謙信)の弘治3年(1557年)5月10日付の戦勝祈願文。膠着している武田信玄との戦いに勝利する願文。中野を居城としていた高梨氏の要請を受け出陣したとしている。しかし、謙信の祈願も空しく小菅神社:元隆寺は武田勢の焼き討ちをうけほとんどの堂宇を失った。

11:00-12:00

三の鳥居。いよいよ奥社への参道となる。注連縄が張ってあるが、神域としての礼を守るよう注意書きがあった。

11:00-12:00

小菅神社 護摩堂

参道を上り始めて直ぐ右手にかつての大聖院跡がある。建物は護摩堂。現在関係建物の修復工事中を行っていた。

11:00-12:00

小菅神社の杉並木

中野市

「小菅神社の杉並木」を   >

戸隠の奥社参道の杉並木と比べると少し小さいが参道が狭いので圧倒される。映画「阿弥陀堂だより」ではこの参道を寺尾聰と樋口可南子が降りてくるシーンがある。

11:00-12:00

杉並木の途中の左に東屋と石柱があるが加耶吉利堂跡。中腹にあったものがここに移動し、最終的に菩提院の馬頭観音堂になっているよう。小菅山では岩窟から本尊の馬頭観音(梵語カヤキリ)が現れたとされ、本尊を祀る堂が設けられた。小菅権現は摩多羅神であり本地が馬頭観音。

12:00-13:00

船石。舟のような形で磐座とみたか。ここから更に急斜面の山道となる。

12:00-13:00

参道をほぼ直線に上ってくるとこの場所になる。最後の平らな場所に加耶吉利堂があったよう。馬頭観音の石仏が置かれている。豪雪地帯でもあり加耶吉利堂(本地堂)は何回か壊れて立て替えられたよう。ここから左手に本格的に山道となる。

12:00-13:00

杉などの根元が豪雪で曲がっている。幼木の時に曲がったまま大きくなっているのか。

12:00-13:00

賽の河原。

12:00-13:00

愛染岩と祠。愛染岩は高さ20m幅70mの大岩。

12:00-13:00

大杉と蝦蟇(がま)石。大きな石が崩落し杉の木で留まったのか、大岩の隣で杉が育ったのか。奥社に上る道は岩や木の配置を考慮して造られたか。

12:00-13:00

蝦蟇石。右手から回り込む。左手に杉がある。以前には左に目が書かれ岩の上に草が生えており蛙に似せていたよう。

12:00-13:00

不動岩の案内柱。谷を隔てた斜面に高さ90m、幅30mの巨大な岩があり、注連縄は対岸を拝するための結界。しかし不動岩がよくわからず。奥社まで300mの案内がある。

12:00-13:00

急斜面もあるがこんな緩斜面も。

13:00-14:00

最後の分かれ道。右は参道でクサリ場がある急斜面。左が緩斜面の迂回路。奥社まで100mの標柱。参道を選ぶ。

13:00-14:00

鏡のように平らな鏡石と左手に鎖場。鏡石には梵字や仏が描かれているようだが気がつかなかった。

13:00-14:00

鎖場。最後に修験道らしさをちょっぴり。

13:00-14:00

鎖場を上がると眺望が開け木島・飯山を望める。中央は飯山市下木島。左奥の山裾から千曲川が右に流れている。手前の山の向こうは神戸で裾を蛇行するのは樽川。中央左に続く山塊は高社山系。中央の下木島には大ケヤキがあった鳥出神社がある。

13:00-14:00

小菅神社 奥社

上を見ると斜面に建てられたことがわかる奥社の足組。清水寺の舞台のよう。

13:00-14:00

小菅神社奥社

いよいよ奥社。

13:00-14:00

大きな岩に食い込むように社殿が建てられている。

13:00-14:00

回廊を降りて東側に回ると石灯籠のようなものが。更に小菅山の頂上に行く道か。

13:00-14:00

山の向こうは神戸や阿弥陀堂のある福島の地籍。神戸の風切峠を越えたり、福島の万仏山の石仏を巡ってこの奥社に至る道も修験の巡礼道であったよう。

13:00-14:00

奥社裏手の鼓(つづみ)岩か。中央に穴があり拍手すると鼓のように鳴るよう。「

13:00-14:00

奥社東側の鼓ヶ滝か。絶えず水が落ちている。頂上付近にこれだけの水量が岩から流れ出しており、岩窟とともにここに奥社が建てられた理由のよう。

13:00-14:00

鼓ヶ滝から落ちる水を集めた甘露水。柄杓が置いてあり、飲もうとしてコロナを思い躊躇したが思い切って飲んでみた。雑念があり甘露には感じなかった。

13:00-14:00

奥社から鎖場ではない迂回路を降りると北竜湖に行く分かれ道があった。登り以上に気を付けてゆっくり降りた。

15:00-16:00

講堂

菩提院前から講堂に車を移動。このトタン屋根の堂宇の正面戸の格子から中を覗いて驚愕した。大きな阿弥陀如来坐像と脇侍の観音・勢至菩薩が暗闇の中に浮かんでいた。

15:00-16:00

講堂案内板。現在は元隆寺がなくなり講堂だけが残っているが、中世には講堂から南に金堂、中門、南大門があり周辺には鐘楼、塔、舞台、鼓楼の伽藍配置だったよう。

15:00-16:00

講堂と阿弥陀如来座像等の説明。

15:00-16:00

小菅の松子。火祭り。映画「阿弥陀堂だより」にも火祭りのシーンがある。

15:00-16:00

小菅の里案内。講堂前広場から奥社を望む場所に大きな案内看板がある。最初にここを見てから行くべきだった。

15:00-16:00

里社の階段。講堂から階段の途中に行ける。

15:00-16:00

石段の上り口右手に万葉歌碑がある。

15:00-16:00

万葉歌碑案内。歌碑は巻12-2863の柿本人麻呂の歌である。確かに「浅葉野」と「菅」で小菅を詠んでいるかもしれない。しかし「浅葉」は群馬県や静岡県にも候補地がある。『標註科野佐ゝ礼石』の歌枕の地「浅葉野」では同じ柿本人麻呂の「浅葉野にたつみは小菅ねかくれて誰故にかは我戀さらん」を載せている。いずれにしても信濃の中では地名の争いはない。

15:00-16:00

里社神楽殿。この前で寺尾聰と樋口可南子が子供達と大縄飛びをするシーンと火祭りの続きとして神楽殿の舞台で寺尾聰が剣舞を行うシーンがある。

15:00-16:00

小菅神社里社

小菅神社里社拝殿。

15:00-16:00

里社本殿案内

15:00-16:00

里社拝殿。戸が開けられ電気の灯明が付けられていた。

15:00-16:00

拝殿前の杉の御神木。奥社参道の杉より太い。まだ回りたい所もあったが次回とした。

小菅修験の里と「阿弥陀堂だより」@

1日目の旅ルート

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