Shotaさんの千葉県の旅行記

房総の城址・古刹・伊八展を巡る
- 1日目2021年1月8日(金)
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15:00-15:00
千葉城(亥鼻城)は1126年(大治元年)鎌倉幕府の重鎮千葉常胤の父、常重が築城。以後胤直が下総の原胤房に追われるまで13代の居城であった。城址には郷土資料館と千葉常胤騎馬像が建ち、亥鼻公園となっている。『日本城郭大系 6』
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16:00-16:00
袖ヶ浦町神納
今は廃校になってしまった母校の跡地。規則の厳しい全寮制のミッションスクールで過ごした青春の日々は半世紀前だが、今も鮮明だ。宣教師が学生たちと造ったサイドウォークを繁茂した雑木林が覆っていた。
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19:00-23:00
こんな世情でなければとても泊まれない房総半島突端のリゾートホテル。部屋は少し年季が入ってはいるが、何といっても温泉と景観がすばらしい !
- 2日目2021年1月9日(土)
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00:00-07:00
白浜オーシャンリゾート
見渡す限り広がる水平線。朝日に白く輝く灯台。ジジイひとりには勿体ない絶景の朝を迎えた。
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07:00-07:00
野島崎灯台
野島崎灯台は南房総国定公園内にある灯台。1870年(明治2年)1月19日、観音崎灯台に続いて初点灯した。近くの白浜海洋美術館には大漁半纏「万祝」など、海に纏わる美術品が展示されている。
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07:00-07:00
野島崎灯台
初代は関東大震災により倒壊。高さ30mの白亜の灯台は1925年(大正14年)再建されたもの。新型コロナの為、内部の見学も資料展示室もお休み。
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07:00-08:00
館山城は1588年(天正16年)里見義康により築城。根古屋山と汐入川、鏡カ浦を利用して城郭・武家屋敷・城下町を周到な計画基づいて築かれた名城。1614年(慶長19年)里見氏が改易され廃城となった。『日本城郭大系 6』
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07:00-08:00
館山城址
現在の模擬天守は丸岡城を模して1982年(昭和57年)に再建された。館山市立博物館分館(八犬伝博物館)となっており、南総里見八犬伝に関連する資料が展示されている。
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09:00-09:00
久留里城は1456年(康生2年)に上総武田氏の流れをくむ武田信長が築城したのが始まりとされる。以後武田氏の子孫真里谷氏が支配したが、戦国期には里見氏に取って代わられた。その後家康の領地となった。『日本城郭大系 6』
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09:00-09:00
久留里城址
現在、土塁、堀切、郭、井戸などが残っており、模擬天守が再建。天守内には全国の現存する天守閣のパネルが展示してある。
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09:00-09:00
久留里城址 上総掘り櫓
天守の側に造られた「上総掘り」の井戸掘り櫓。上総掘りは明治初期にこの地方で考案された技術。下部に弁をつけ、上下に排水用の穴をあけた鉄管を竹ひごでヤグラから吊るし、竹の弾力を利用して何度も突き下ろして掘削する。今もアジアやアフリカで用いられているという。
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10:00-10:00
千本城址
千本城は久留里城の支城で、1488年(長享2年)里見義実によって築かれたとされるが、不明な点が多い。雑木で覆われた城域に北野神社がある。『日本城郭大系 6』
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11:00-11:00
千光山清澄寺は日蓮宗の大本山。771年(宝亀2年)旅の僧が虚空蔵菩薩を祀る寺を建立したのが始まりと伝わる。日蓮が出家得度し立教開宗した寺とされる。
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清澄山の主峰は標高377mの妙見山。標高約310mの境内に、堂宇、千年杉などが点在する。
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11:00-11:00
清澄寺 大堂
摩尼殿とも呼ばれる大堂は1682年(天和2年)建立。堂内には本尊である曼荼羅の前に、1717年(享保2年)八事山興正寺の天端が奉納した能満虚空蔵菩薩像が安置されている。
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11:00-11:00
清澄寺 大堂向拝
大堂の向拝・木鼻は比較的小ぶりだが、存在感がある。
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11:00-11:00
大堂 柱
大堂を永い間支えてきた床下の柱。各地の古刹に使われている柱は質、肌、朽ち方は当然一様ではなくそれぞれの表情を見せてくれる。
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11:00-11:00
清澄寺 鐘楼
鐘楼の構造は四脚でシンプルだが、組木に施されている彫りが実に見事で堂々としている。
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11:00-11:00
小湊山誕生寺は日蓮宗の大本山。1276年(建治2年)日蓮の弟子・日家が高光山日蓮誕生寺として建立したが、地震、津波で被災し現地に移転。仁王門は1706年(宝永3年)建立。
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11:00-11:00
寺は二度の地震・津波により、小湊漁港近くの現地に移転、生家跡伝承地は沖合いの海中に没している。境内には幼少期の日蓮像、祖師堂などが点在する。
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11:00-11:00
誕生寺 本堂
本堂は本瓦葺総檜入母屋造で1991年(平成3年)建立。水戸光圀の寄進による十界本尊木像をはじめ日家、日保像が安置されている。
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12:00-13:00
手打そば幸七
築200年の自宅を改装した「手打そば幸七」。柱も襖も年季が入っていてとても落ち着く。別棟の納屋を改装した「ぎゃらりーkoushichi」では陶芸、絵画、ガラス工芸など様々な作家の作品が楽しめる。在職中はしょっちゅうお世話になった。
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12:00-13:00
幸七 ふせもり
期間限定の「ふせもり」。店の前にはソバ畑が広がっており、地元上布施でとれた蕎麦がいただける。これがのど越しがよくて実にウマい !
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14:00-14:00
東頭山無量寿院行元寺は849年(嘉祥2年)円仁により大多喜町に創建された。阿弥陀如来を本尊とする。
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14:00-14:00
その後戦禍により焼失しいすみ市内の萩原に復興。再度兵火に遭い、1588年(天正14年)二階堂行元により現地に移築された。
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14:00-14:00
行元寺 山門
1735年(享保20年)建立の山門。左右に仁王像が立つ。別名慈雲閣と称する。
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14:00-14:00
行元寺 伊八
「波の伊八」として知られる武志伊八郎信由は江戸中期(1751-1824年)現鴨川市生まれの宮彫師。コロナで現物は見られず、境内休憩所の写真を一枚。
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14:00-14:00
行元寺
江戸期に建立された旧書院。本堂右手にある茅葺の客殿に上記初代伊八の「波図彫刻」がある。伊八の波がつとに有名だが、本堂欄間の「龍」、「牡丹に錦鶴」は江戸期の名工高松又八郎の銘作である。
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14:00-15:00
行元寺では伊八の波を見ることは出来なかったが、「田園の美術館」で彫刻・写真展を観ることが出来た。しかも無料 ! 点数は多くはないがどれも見事。有難い !
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14:00-15:00
いすみ郷土資料館
伊八の流水と鯉をモチーフにした欄間彫刻。力強く生き生きとして迫力がある。
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14:00-15:00
いすみ郷土資料館
上記行元寺客殿の波図の写真も展示されていた。
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15:00-15:00
大多喜城址
大多喜城は1521年(大永元年)上総武田一族の真里谷信清が「小田喜城」として築いたのが始まりとされる。
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15:00-15:00
大多喜城址
真里谷氏は里見氏の配下正木氏に取って代わられるが、1590年(天正18年)家康の領地となる。
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15:00-15:00
大多喜城址
徳川四天王の一人本多忠勝が初代大多喜藩主となり、近世城郭へと大改築を行った。現在の天守は1835年(天保6年)の図面を基に再建され、千葉県立総南博物館となっている。
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