メタボ大王さんの長野県の旅行記

北澤美術館〜飯田で花見〜高森町・瑠璃寺
- 1日目2021年3月22日(月)
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昨年12月に「ホテル紅や」に宿泊した際付いていた入館券を急用で見られなかったの期限切れを前に訪れた。20年前にも来たが、当時は無かったが隣に警察署の大きな建物ができており美術館が小さく感じる。
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1階のガラス展示室に入るとエミール・ガレの代表作「ひとよ茸ランプ」がある。周囲に鏡があるので幻想的な雰囲気になる。日本の高度成長期、東洋のスイスと言われた諏訪の代表的企業の創業者が収集した19世紀末アールヌーボーのガラス工芸品。ガレ、ドーム、ラリックのガラス工芸では世界的に知られている。2階の日本画展は日本を代表する作家の春の作品を展示していたが、ガラス工芸の鮮やか作品を見た後なので印象が薄かった。
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諏訪湖湖畔公園の足湯。午後5時に閉鎖となる。隣が間欠泉センター。
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諏訪湖間欠泉センターから見る夕暮れ。間欠泉は終了していたが湯気が立ち上っていた。春分2日後であるので日の入りが真西になる。ほぼ岡谷市の釜口水門方向。
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七ツ釜の由来。由来にもあるように温泉としての歴史は古くはない。しかし、今や諏訪湖の花火は日本を代表する。水上スターマインは体が震える。
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諏訪湖遊覧船越しに沈んで行く日の入り。山国信州では日の出、日の入りはほとんど地平線となることなく山の端となるが、ここからは諏訪湖に沈むような感じでもあり、諏訪湖が信濃の「うみ」と呼ばれる所以がわかる。
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下諏訪町でうなぎを食べる予定であったが閉店であったのでこちらで塩天丼を。以前に来た時は塩がうまいと感じていたが、年を取ったせいか妻の食べたタレの方がよかった。
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急きょ旅行を決めたので朝食のみの格安プランでハイクラスなホテルへ宿泊。写真は翌日。
- 2日目2021年3月23日(火)
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朝食。野菜やフルーツ、飲み物はセルフ。
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ホテルロビーを飾る御柱と壁画。来年が御柱の年。善光寺の御開帳が1年延期となり重なるが相乗効果で観客が戻るだろうか。いずれにしてもコロナの収束如何だ。
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遊覧船乗り場。わかさぎ釣り舟もこちらから出航するがわかさぎは終了。9月から3月中旬までとなっているが、今年は暖かく、わかさぎが川を遡上してしまったらしい。
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諏訪湖一周遊覧の金額と出航時刻。9時を過ぎていたが、観光客の姿はなかった。
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松川ICで高速を降り、フルーツライン(飯島飯田線)の高森町牛牧にある「あんしん市場牛牧直売所」に寄りいちごなどを買う。入口は狭いが奥が広く地元の野菜、くだもの、米(玄米)、花などがある。
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座光寺にもあるが今回は鼎の本店。飯田のとんかつの有名店のよう。昼食時間なので客が多く混んでいたが、予約の弁当をテイクアウト。ロースとヒレとエビフライの入ったミックスとお土産用に幻豚ロースを。
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咲き初めの桜などを見ながらとんかつ弁当を食べる。飯田市では満開となった名所もあるが、今回は動物園に寄るためにこちらで。この上に動物園がある。
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電車の運転手さんが出発前にハーモニカを吹いてくれる。「ひな祭り」などの童謡。周回する時には動物の日頃の様子をやさしい語り口で紹介してくれる。昨年来た時の運転手さんとは違う方か。小さい子の記憶には残るかも。園内の桜はこれから。
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桜の開花が県内のニュースになったので訪ねた。まだ五分咲きか。韓国の慶州や鎭海の桜祭りにも行ったが、桜を愛でる気持ちは同じで高揚させてくれる。
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飯田市から高森町の「瑠璃寺」へ。高速より更に山麓のハーモニックロードを北上。高森町に入り大島川を越えると寺の案内看板がある。参道入口にある石仁王像まで降りまた戻る。
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平安末期の薬師如来坐像、日光・月光菩薩像の国重要文化財の他、県宝の聖観音立像がある天台宗の名刹。中世、天台信濃五大寺と言われたのは、南信では駒ヶ根の「光前寺」であるが、仏像はこちらの寺の方が残っている。戦国時代の戦乱や明治の廃仏毀釈で多くの宝物が焼かれたり壊されてしまった。この寺に多くの仏像が残っている理由な何なのか。表門に入ると庭師が剪定をしており客殿には行くことができなかった。黒松の老木だけをみても寺の古さがわかった。
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多羅葉樹と桜。
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多羅葉樹の説明板。多羅とはサンスクリット語の「ターラー」で多羅仏母とも。古代朝鮮の加耶にあった国でもある。ブッダガヤの「カヤ」や「タラ」の地名からインドと南朝鮮半島との交流が窺われる。
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瑠璃寺の阿弥陀堂。阿弥陀如来と脇侍が観音菩薩、勢至菩薩である。天台の密教寺院であるが、浄土信仰も取り入れている。阿弥陀堂の脇には菩提樹が植えられていた。
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日吉神社が境内に残っている。神仏習合を今に伝える。明治の神仏分離令によりそれまで薬師堂を守護するよう薬師堂を向いていた神社を石垣を積んで薬師堂より高くし、正面を向かせたよう。
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ピンピンコロリ地蔵。薬師堂の前にある。病気平癒を願い薬師如来にお詣りする一方、その願いが叶わない場合はピンコロを願う。医者にも行けない時代は薬師如来にお詣りしなければならないが、現代ではピンコロの方を願う。後方の石垣は日吉神社の石垣で明治になりかさ上げされたもの。
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ピンピンコロリ地蔵の販売は別の所のよう。
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寛政3年(1791)に再建された薬師堂。眼の病をいやしてくれると信仰を集めていたよう。薬師三尊像は信長による信濃攻めで全山が焼かれても住民らが護ったが、薬効を願う住民が台座の花びらを少しずつ欠いて持ち去ってしまった。それでも戦前は国宝に指定されていたが、戦後、台座が不完全ということで重要文化財に格下げされたよう。薬師三尊像は収蔵庫である瑠璃光殿に納められており、事前に連絡すると見学ができるよう。
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薬師堂には瑠璃寺の略年表が掲示してあった。織田信長の信濃侵攻により堂宇のほとんどを焼失したが、住職らが本尊等を避難させたので今日がある。明治の神仏分離令での廃仏毀釈の流れにも苦労をしただろう。
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薬師堂の前に寺の由来が掲示してあった。薬師堂が本堂ということ。
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薬師堂の隣に歴代住職等の墓地がありその奥に観音堂がある。聖観世音菩薩(県宝)が安置されている。格子から覗いたが仏壇の扉が閉まっており写真が置かれていた。
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鎌倉時代に源頼朝の祈願所となり750石の寺領の寄進を受け、桜の苗が下賜されたよう。
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枝垂れ桜は天然記念物となっている。幹回りはそれほどでもないが、ごつごつとした幹は年代を感じさせる。鎌倉幕府が開かれた頃とすれば800年以上の樹齢となるが。
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瑠璃寺からみる伊那谷。白い山頂付近だけが見えるのが南アルプスの稜線。左から北岳、 間ノ岳、濃鳥岳か。
北澤美術館〜飯田で花見〜高森町・瑠璃寺
1日目の旅ルート
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