Shotaさんの岐阜県〜愛知県の旅行記
愛西市の蓮田、苗木城址(中津川市)、熊谷守一つけち記念館、不動滝(付知峡)と周辺の城址めぐり
- 1日目2022年7月16日(土)
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07:00-07:00
亀山城は、応永期(1394-1428年)奥平貞俊が築いたとされる平山城。奥平氏の祖は、上野国甘楽郡岩井村奥平郷の秩父氏の一族児玉氏という。『日本城郭大系 9』
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07:00-07:00
亀山城址
東曲輪の側にひっそりと立つ、フクロウの彫物。フクロウといえば「知恵」の象徴、粋なことを…。
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07:00-07:00
亀山城址
亀山城域は東西60m、南北150mほどで、本郭は東西27m、南北90mの楕円形をなし、周囲に土塁を巡らし、南東に空堀に続く虎口、北側にも曲輪に接する虎口を設けてある。『日本城郭大系 9』
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08:00-08:00
古宮城址の南側に白鳥神社が建つ。古宮(ふるみや)城は元亀期(1570-73年)武田方の馬場美濃守信春が築いたとされる平山城である。『日本城郭大系 9』
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08:00-08:00
古宮城址
当城は遠江諏訪原城を小型化したような縄張りで、武田流築城の基本をうかがうことができ、中世から近世に移る過程の城郭の見本ともいえる城であろう。『日本城郭大系 9』
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09:00-09:00
真弓山城(足助城)は真弓山(標高301m)にあった山城。かつて義経に従ったとされる鈴木重善を祖とする足助鈴木家の本城であったとされているが、築城の詳細は不明。
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09:00-09:00
足助城 高櫓
曲輪址などが残っており、一帯は「城跡公園足助城」として整備され、本丸の高櫓・物見櫓・厨などが復元されている。
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10:00-10:00
武節城は永正期(1504-21年)菅沼定信が築いた平山城である。この城は、天正3年(1575年)長篠の合戦に敗れた武田勝頼が甲斐への帰路、退避したことによって知られている。『日本城郭大系 9』
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10:00-10:00
武節城址
武節城は段戸山系からの尾根に堀切を設け、その先端に構えられたもの。本郭に残る土塁は、小郭を兼ねた中世後期の城郭の特徴をよく表している。『日本城郭大系 9』
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10:00-10:00
阿木城址(中津川市)
阿木城は戦国期、岩村遠山氏が岩村城防衛のために建てた遠山十八支城の一つで、一族の安木遠山氏の居城であったとされるが、築城の詳細は不明。
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10:00-10:00
阿木城址
城ケ峰と呼ばれる城山の南側には多数の出曲輪が置かれ、上部には本曲輪、二ノ曲輪、腰曲輪などが見られる。
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11:00-12:00
苗木城は『濃飛両国通史』によれば、天文初年(1532年)遠山直廉が築いた山城である。遠山氏は頼朝の臣、加藤次景廉以来、岩村遠山氏を主流として恵那郡全域に勢力を持っていた。『日本城郭大系 9』
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11:00-12:00
苗木城 天守展望台
苗木城は木曽川に絶壁をさらす城山の頂上に位置している。天守址からは木曽川南岸を東西に延びる中山道と、城の北を通って付知川を北上する飛騨路が一望できる。『日本城郭大系 9』
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11:00-12:00
苗木城天守台より大矢倉を望む
天守台から城域を見下ろすと、大手門の外、北の隅に石垣を高く築いた18坪の大櫓がある。『日本城郭大系 9』随所に巨岩を組み込んで築かれた城塞に改めて魅了された。どこで聞きつけたのか、アクセントから英国系と思われる観光客のグループも日本の典型的山城を楽しんでいる風だった。
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14:00-15:00
熊谷守一つけち記念館は、2015年守一の故郷、恵那郡付知村(現・中津川市付知町)に守一作品の収集家小南佐年が私財を投じて設立したもの。今回は晩年のポートレートが数多く展示されていた。
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14:00-15:00
熊谷守一「馬」1910年、油絵。一時ふるさとに帰っていた間に制作した三点の内の一つ。守一が可愛がっていた馬。晩年にも馬のスケッチを残している。
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14:00-15:00
熊谷守一「白い蝶」1940-50年。不思議な、印象深い作品。バックはもっとグリーンに近い。
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14:00-15:00
熊谷守一「牛」1954年。牛の後ろ姿が、ユーモラスにそして力強く描かれている。気に入ってしまった。
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15:00-16:00
不動滝のある付知峡は木曽川の支流、付知川の源流に位置する。付知川は「青川」とも呼ばれるほど澄み切った清流で名高い。手つかずの原生林の中に、不動滝・高樽滝の他にも無数の瀑布を見ることができる。
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15:00-16:00
観音滝
「不動滝」に下りて行く途中、左側に、糸のように落ちている「観音滝」がある。
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15:00-16:00
不動滝
「観音滝」の少し下流にあるのが水量豊富な「不動滝」。眺めていると時を忘れる。
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15:00-16:00
仙樽滝
「不動滝」から少し戻って、スリリングなつり橋を渡って「仙樽滝」へ。遊歩道が閉鎖されているので、あまり近づくことはできない。
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18:00-23:00
ビジネスホテルフィズ名古屋空港(豊山町)
名古屋空港近くのビジネスホテル。少し狭いユニットバスで汗を流してひと息つく。
- 2日目2022年7月17日(日)
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00:00-06:00
ビジネスホテルフィズ名古屋空港(豊山町)
だいぶ歩いたので、よく眠った。簡単な朝食を済ませて出発。
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06:00-06:00
小田井城址(清須市)
小田井城は室町中期、「下の織田」の正統織田敏定が築いた平城である。庄内川中流の北岸、西枇杷島町下小田井に台地状の城域があったとされる。『日本城郭大系 9』
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07:00-07:00
清洲城は応永12年(1405年)頃、室町幕府の管領・尾張守護職斯波義重が築いたとされる平城である。永禄期(1558-70年)信長が城主となって以来およそ50年間に整備・拡張された。『日本城郭大系 9』
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07:00-08:00
立田赤蓮保存田(愛西市)
「立田赤蓮保存田」は江戸期から現愛西市で栽培されてきた「立田赤蓮」をはじめとする32種の花ハスを一堂に集めた保存・鑑賞用のハス田。これは「漁山紅蓮」。
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07:00-08:00
立田赤蓮保存田
19世紀前半、立田赤蓮保存田から2キロほど北にある陽南寺の漢方医を兼ねていた住職がレンコンの栽培を始めたとのこと。「毎葉蓮」だろうか、それとも「姫蓮」?
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07:00-08:00
森川花はす田(森川町)
立田赤蓮保存田から3キロほど南、道の駅「立田ふれあいの里」に隣接して「森川花はす田」がある。周囲には見渡す限りハス田が広がっている。
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07:00-08:00
森川花はす田
1.5ヘクタールの敷地に5種類のハスが植わっている。「瑞光蓮」かな…。
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07:00-08:00
森川花はす田
これは「白茶碗蓮」だろうか…。
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08:00-08:00
古木江城址(愛西市)
古木江城は信長の弟彦七郎信与が居住した城である。木曽川下流域にあった平城で、対岸の長島に近く、元亀元年(1570年)長島一向一揆の攻撃を受けて敗れ、信与は自害した。『日本城郭大系 9』
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08:00-08:00
古木江城址
古木江城址には富岡神社がある。城の鎮守として置かれたとされている。
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09:00-09:00
早尾東城址(愛西市)
早尾東城は室町期に津島の豪族大橋源三右衛門が築いたとされる平城である。石碑と説明版以外に遺構は残っていない。
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09:00-09:00
早尾東城址
早尾東城址には文禄元年(1592年)常徳寺が建てられた。
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09:00-09:00
勝幡城址(稲沢市)
勝幡(しょばた)城は永正元年(1504年)頃、信長の祖父、織田信定が築いたと伝わる平城である。『日本城郭大系 9』
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09:00-09:00
勝幡城址
勝幡城は、信秀から信長へと織田氏の発展にともなって廃城となったが、織田氏の拠点としての意義は深い。『日本城郭大系 9』
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09:00-09:00
西溝口城址(稲沢市)
西溝口城(溝口城)は溝口勝政が築いた平城。勝政は初め逸見左衛門尉勝政と称し、美濃国大桑からこの地に移って溝口と名乗った。『日本城郭大系 9』 城址には成願寺が建つ。
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10:00-10:00
光明寺城址(一宮市)
光明寺城は永禄期(1558-69年)信長の家臣、神戸伯耆守が築いた城。永禄末期には廃城となった。
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10:00-10:00
大野城址(一宮市)
大野城は元京都石清水八幡宮の祠官、大野伊賀守治定が信長の命により築いたとされる平城。小牧・長久手の戦い(1584年)では秀吉側の砦として利用されたようである。
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10:00-10:00
大野城址
大野城址は大野極楽寺公園の一部となっている。
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11:00-11:00
河田・高田城址(一宮市)
河田城は天正12年(1584年)秀吉が小牧・長久手の戦いに際して、織田・徳川連合軍と戦うために築かせた城である。
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12:00-12:00
松倉城址(各務原市)
松倉城は天文元年(1532年)越前守護富樫氏嫡流の富樫頼定が織田信康に仕え、尾張国葉栗郡松倉を領した際に築いたとされる平城。上ノ島神明神社は、松倉城の裏鬼門の神社であった。
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12:00-12:00
三井城址(各務原市)
三井城は天文期(1532-55年)美濃国守護土岐家の家臣、土岐弥一郎が築いたとされる山城である。本丸址が残る。『日本城郭大系 9』
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13:00-13:00
更木陣屋址(各務原市)
更木陣屋は慶長5年(1600年)旗本徳山則秀が設置した陣屋である。則秀は信長の将、柴田勝家、前田利家に仕え、関ケ原では家康に仕えて功を上げる。この功により、則秀は旗本として出身地の徳山郷と各務郡を領した。
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13:00-13:00
更木陣屋址
陣屋址は「更木陣屋絵図」を元に復元されて、模擬門が建ち「旗本徳山陣屋公園」となっている。
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13:00-13:00
関城址(関市)
関城は安桜山(標高152m)に築かれた山城。享禄元年(1528年)斎藤家麾下の長井長弘が築いたと伝えられる。本丸跡は安桜山御嶽神社の境内になっている。
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14:00-15:00
1984年に開館した関市産業振興センターが全面改装され、関鍛冶伝承館として2002年開館。刀剣と共に、関鍛冶の歴史や刀装具の資料・映像などを展示し紹介している。
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14:00-15:00
関鍛治伝承館
「金重(きんじゅう)は荘周伝の名工・正宗の弟子とされ、正宗十哲に数えられる刀工。越前より関に移住、関鍛冶の祖の一人となった。この刀は金重の典型的な作風であり、地鉄・刃文ともによい出来で、健全である。」(展示説明)
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14:00-15:00
関鍛治伝承館
元重は伝説上の人物とされてきたが、「13世紀(鎌倉末期)に九州から関へ移住し、関鍛冶の祖となった刀工。本作は鍛えた柾目が交じり、鑢目が桧垣といった美濃物の特徴を持った元重の太刀である。」(展示説明)
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14:00-15:00
関鍛治伝承館
薙刀 銘・若狭守氏房作「若狭守氏房は、初銘を『兼房』、永禄13年(1570年)若狭守を受領して、織田信長の抱鍛冶となった関鍛冶。本作は織田信長の家臣・柴田勝家所用と伝わる。長寸で重ね厚く豪壮な造りで、戦国乱世に用いられた男薙刀の典型作であり、氏房の傑作の一つである。」(展示説明)
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1日目の旅ルート
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