Shotaさんの茨城県〜千葉県の旅行記

千葉、茨城の城址、飯縄寺(いすみ市)、手打ちそば 幸七(御宿町)へ
- 1日目2023年1月6日(金)
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08:00-08:00
富士山 駒門付近
新東名高速道路の駒門SA付近から、雪をかぶった富士山を! いつ見てもいい!
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10:00-11:00
さかもと治療院(碑文谷)
オステオパシー(骨治療)の治療院。腰痛と排尿障害の軽減を主体にお願いした。腱や血管など身体の構造から説明してくださるので、とても興味深い。
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13:00-13:00
しのみやクリニック
今回は、暮れに送っていただいた BD のストーリー展開、内容分析・批評が主な話題に…。
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14:00-14:00
鷺沼城址公園(習志野市)
鷺沼城の築城は平安末期ではないかとされ、正応期(1288-93年)には、鷺沼太郎源太光義の居城であったと伝わる。土塁・腰郭が残る。『日本城郭大系 6』 現在は城址公園になっている。
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14:00-14:00
鷺沼城址公園(習志野市)
鷺沼城址公園付近から下総型円筒埴輪・直刀破片・土玉・鉄鏃などが出土したことから、6世紀後半築造の前方後円墳があったと推定されている。
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14:00-14:00
鷺沼古墳
公園内に保存されている、前方後円墳のB号墳の石棺。
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15:00-15:00
実籾城址(習志野市)
実籾城は戦国期の城であったと考えられているが、詳細は不明。土塁・腰曲輪などが残ってはいる。
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15:00-15:00
馬加城址(千葉市)
馬加(まくわり)城は、1180年(治承4年)千葉介常胤の四男(大須賀)四郎胤信が、大須賀庄本郷に所領を与えられ屋形を構えたのが起源とされる。『日本城郭大系 6』
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19:00-23:00
ホテル 明建(土浦市)
ホテル明健は一見平屋の旅館のようだが、奥にビジネス・ホテル棟がある。ただ、エレベータがないのが少々不便。早速フロに。
- 2日目2023年1月7日(土)
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00:00-08:00
ホテル 明建(土浦市)
わりとよく眠って朝風呂に! 簡単な朝食を済ませて8時すぎに出発。
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08:00-08:00
土浦城 大手門跡(土浦市)
土浦城 三の丸址、現在土浦幼稚園が建っている所に「大手門の跡」の碑が立つ。
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08:00-08:00
土浦城は室町時代、永享期(1429-41年)常陸守護、八田知家の後裔小田氏に属する若泉(今泉)三郎が築城したのが始まりとされる。戦国期は諸将の攻防の舞台となったが、江戸期に入り家康の次男、結城秀康らが増改築により城郭を整えた。『日本城郭大系 4』
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08:00-08:00
現存する櫓門は本丸の南面に位置し、二階に太鼓を置いて昼夜の別を知らせたので太鼓門とも呼ばれていた。『日本城郭大系 4』 城址は亀城公園になっている。
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09:00-09:00
高井城址(土浦市)
高井城は南北朝期の城で、印塔・塚・土塁などが残っている。興国2年(1341年)高師冬がこの城を攻めた記録があるとされる。
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09:00-09:00
上条城址(阿見町)
上条城は1390年(明徳元年)頃に築かれたと考えられているが、築城主は分かっていない。南北朝末期、関東管領の上杉氏が常陸国信太郡を支配していた頃、家臣団の大越氏が入場した。上杉氏が衰えた戦国期は土岐氏に属した。
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09:00-09:00
上条城址(阿見町)
周囲はかなり開発が進んでいるが、上条城址はこんもりとした森になっており、土塁や堀がまばらに残っている。
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09:00-09:00
木原城の創築については、1399年(応永6年)近藤民部正勝原利貞によるという説と、1562年(永禄5年)江戸崎城主土岐治英が築き家臣近藤薩摩守の居城としたという説がある。『日本城郭大系 4』 城址は広い公園になっている。
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12:00-12:00
一宮休憩所は、千葉県長生郡一宮町から山武郡九十九里町に至る、17.2 km の九十九里有料道路にある。
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12:00-12:00
九十九里浜の一宮付近。風は冷たいものの、好天に恵まれて眺望を楽しむ。
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12:00-12:00
一宮城の築城は南北朝期ではないかとされるが、詳細は不明。1562年(永禄5年)城主内藤久長が館山城主里見美頼、万木城主土岐頼春、大多喜城主正木盛賢らに攻められ落城したという記録などがあるとされる。城址は「城山」と呼ばれ、曲輪が残っている。
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12:00-12:00
1592年(文禄元年)本多忠勝の支配する大多喜領となった後、領主の変遷を経て1657年(明暦3年)には脇坂淡路守安元、また1826年(文政9年)には加納遠江守久儔によって陣屋が造られた。
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12:00-13:00
飯縄寺(いすみ市)
明王山無動院飯縄寺は808年(大同3年)円仁が創建した天台宗の古刹。左右に仁王像を安置する寄棟造の仁王門には室町末期の様式が見られるとのこと。
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12:00-13:00
飯縄寺 水屋
切妻瓦葺きの水屋は、寺記によると1797年(寛政9年)建立。
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12:00-13:00
飯縄寺 鐘楼
入母屋造瓦葺の鐘楼は、寺伝によると1846年(弘化3年)建立。羽目板、柱などの細部に至るまで彫刻を施す手法は江戸末期の特色とのこと。
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12:00-13:00
飯縄寺 本堂
本堂は内外陣堺にある欄間彫刻の銘文から明らかなように、初代武志井八郎信由、通称「波の伊八」の作例をもつ寺院建築として知られる。棟札などから1797年(寛政9年)完成とされる。
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12:00-13:00
伊八作 向拝・木鼻
見事な向拝と木鼻、牛若丸と大天狗の図も銘文から伊八の作と認められる。 なかなかの迫力で迫ってくる。
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13:00-14:00
手打ちそば 幸七(御宿町)
幸七の主人が毎月、左手で書くという営業案内。なかなかアジがある。
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13:00-14:00
幸七 天ぷらそば
蕎麦屋では大抵、温かいそばと冷たいそばを頼んで味くらべをする。まず天ぷらそばを…。 今日は出汁が濃く感じた。体調のせいかな?
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13:00-14:00
幸七 布施もり
季節のそば粉でうつ「布施もり」。のど越しがよくて旨い! 最後のひと盛! ラッキー!
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15:00-15:00
真里谷城址(木更津市)
真里谷(まりやつ)城は、室町中期から戦国期上総地方を支配した真里谷武田氏の祖、武田信長が康正2年(1456)に築いた丘陵城である。『日本城郭大系 6』
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15:00-15:00
真里谷城址(木更津市)
真里谷城は小櫃川と養老川の中間に位置し、中央部の大多喜・長南方面に進出するのに便利な地点に築かれていた。『日本城郭大系 6』 現在は「木更津市少年自然の家キャンプ場」になっている。
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16:00-17:00
復元された「シールドマシン」の「カッターフェイス」の右下に、夕陽に浮かぶ富士を遠望。
千葉、茨城の城址、飯縄寺(いすみ市)、手打ちそば 幸七(御宿町)へ
1日目の旅ルート
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