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Shotaさんの福島県〜東京都の旅行記

奥州街道沿いの宿場・城址・古刹

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銀座で所用を済ませ、今回は奥州街道の宿場址を辿りながら北上して那須塩原に投宿。翌日は街道終点の白河宿址、白河小峯城址から南下することにした。往路、サービス・エリアはどこも混みあっていたが、比較的スムーズに走れた。しかし、帰路の東北道はビッチリ、ノロノロ。圏央道を回って東名へ。新東名の静岡付近で事故渋滞のため、走りにくい東名を使わざるをえなかった。

歴史ツウ Shotaさん 男性 / 70代

1日目2024年5月3日(金)
09:00-09:00

御殿場付近からの富士

晴天に雪の残る富士、絶景!

12:00-12:00

銀座山野楽器

半世紀にわたって貯めたり使ったりしてきたポイントが今月末で失効するというので、約三万円分の CD と書籍を購入。時代の変化を実感。 銀座はインバウンドで溢れていた。

12:00-12:00

日本国道路元標

中央区

「日本国道路元標」を   >

慶長9年(1604年)五街道の起点と定められた日本橋。明治期に入ると橋の中央が全国の国道の起点と定められた。車道中央には、総理大臣・佐藤栄作による文字が刻まれたブロンズ製の元標が埋め込まれており、「元標の広場」にはそのレプリカが展示されている。

13:00-13:00

千住宿本陣址(足立区)

@ 千住宿は水戸街道や下妻道の分岐を控え大いに賑わった。宿内家数は2,370軒、うち本陣1、脇本陣1、旅籠55軒、宿内人口は9,956人。『ちゃんと歩ける日光街道 奥州街道』【通し番号は『日本史必携』に拠り、参考資料は、天保14年(1843年)の日光道中宿村大概帳。】

13:00-13:00

草加宿大川本陣址(草加市)

A 草加宿大川本陣址 当初、この一帯は沼地が多く街道は大きく迂回していた。大川図所は幕府に願い出て千住~草加間をほぼ一直線に結ぶ新道を開削し、慶長12年(1607年)草加宿を創設。上記資料によると、宿内家数723軒、うち本陣1、脇本陣1、旅籠67軒で宿内人口3,619人。『ちゃんと歩ける日光街道 奥州街道』

13:00-13:00

芭蕉文学碑(草加市)

松の側に建つ文学碑に『おくのほそ道』の一節が刻まれている。「ことし 元禄二とせにや 奥羽長途の行脚 只かりそめに思ひたちて 呉天に白髪の恨みを重ぬといへ共 耳にふれていまだめに見ぬさかひ 若生て帰らばと 定めなき頼の末をかけ 其日 漸早加と云宿にたどり着にけり 痩骨の肩にかゝれる物先くるしむ 只身すがらにと出立侍るを 帋子一衣は夜の防ぎ ゆかた 雨具 墨 筆のたぐひ あるはとりがたき餞などしたるは さすがに打捨がたくて 路次の頬となれるこそ わりなけれ」 西村本『おくのほそ道』より

13:00-13:00

草加松原「松並木」(国指定名勝おくのほそ道の風景地草加松原)

草加市

「草加松原「松並木」(国指定名勝おくのほそ道の風景地草加松原)」を   >

旧日光街道の草加六丁目橋付近から旭町一丁目南端にかけて綾瀬川沿いに約1.5kmに渡って続く松並木。千本松原とも呼ばれる。

13:00-13:00

草加松原「松並木」(国指定名勝おくのほそ道の風景地草加松原)

草加市

「草加松原「松並木」(国指定名勝おくのほそ道の風景地草加松原)」を   >

石畳が敷かれた遊歩道が松並木に沿って整備され、かつての街道の雰囲気を彷彿とさせる。

13:00-13:00

越ケ谷宿址(越谷市)

B 越ケ谷宿址 宿内家数1,005軒、うち本陣1、脇本陣4、旅籠52軒、宿内人口4,603人。宿並は明治7年(1874年)と同32年(1899年)の大火で灰塵に帰した。『ちゃんと歩ける日光街道 奥州街道』

14:00-14:00

越ケ谷御殿址(越谷市)

越ケ谷御殿は、家康が放鷹のため慶長9年(1604年)伊奈備前守忠次に造らせた御殿。明暦3年(1657年)の大火で江戸城本丸・二の丸が焼失した時、越谷御殿は江戸城二の丸に移築され将軍の居所になった。『日本城郭大系 5』

14:00-14:00

香取神社本殿

春日部市

「香取神社本殿」を   >

香取神社の創建年代は不明であるが、「徳治元年(1306年)」の棟札から、少なくとも鎌倉後期には存在していたものと推測される。経津主大神を主祭神とする。

14:00-14:00

香取神社本殿

春日部市

「香取神社本殿」を   >

四面の外壁に彫刻が施された奥殿。棟札から慶応2年(1866年)の建造であることが確認できる。彫物師は浅草山谷町長谷川竹次良で、高砂の翁、大黒天、龍などの浮彫りがそれぞれ奉納者の名とともに刻まれている。

15:00-15:00

奥州・日光道中(日光街道)

草加市

「奥州・日光道中(日光街道)」を   >

C 粕壁宿址 粕壁宿は古利根川の舟運により江戸と結ばれ、諸物資の集散地として栄えた。『ちゃんと歩ける日光街道 奥州街道』

15:00-15:00

粕壁宿本陣址(春日部市)

粕壁宿本陣址 宿内家数は773軒、うち本陣1、脇本陣1、旅籠45軒で宿内人口3,701人。『ちゃんと歩ける日光街道 奥州街道』

15:00-15:00

観音院(春日部市)

観音院の仁王像 小渕山観音院は正嘉2年(1258年)開山の天台宗系本山修験宗の寺院。正観世音菩薩を本尊とする。

15:00-15:00

観音院 芭蕉句碑(春日部市)

境内に建つ芭蕉の句碑 「ものいえば 唇さむし 秋の風」 葛飾蕉門下の俯不干(ふかん)建立とされる。

16:00-16:00

道の駅 庄和

春日部市

「道の駅 庄和」を   >

かなり広い道の駅。連休とあってクルマがビッチリ! 近郷の特産物が所狭しと並んでいる。本館正面には春日部で上げられる大凧が飾られている。

16:00-16:00

首都圏外郭放水路 龍Q館

春日部市

「首都圏外郭放水路 龍Q館」を   >

「地底探検ミューヘジアム 龍 Q 館」は洪水防御施設・首都圏外郭放水路内の、川の流れや外郭放水路の機能等に関する資料館。調圧水槽など「防災地下神殿」の見学は予約が必要。

16:00-16:00

日光街道杉戸宿

杉戸町(北葛飾郡)

「日光街道杉戸宿」を   >

D 杉戸宿渡辺家 元和2年(1616年)近郊の郷村を集めて宿場を創設。宿内家数は365軒、うち本陣1、脇本陣2、旅籠46軒で宿内人口1,663人。『ちゃんと歩ける日光街道 奥州街道』 

17:00-17:00

幸手宿址(幸手市)

E 幸手宿址 幸手は日光御成道、筑波道の要衝を控え、権現堂河岸には江戸舟運の廻船問屋が軒を連ねた。 宿内家数は962軒、うち本陣1、旅籠27軒で宿内人口は3,937人。『ちゃんと歩ける日光街道 奥州街道』

17:00-17:00

栗橋城址(栗橋町)

栗橋城は古河城を上杉氏から守るために、長禄期(1457-60年)野田右馬助が築いたのではないかとされる平城。堀。土塁が残る。『日本城郭大系 4』

17:00-17:00

栗橋宿址(栗橋町)

F 栗橋宿址 栗橋は利根川の舟運で栄えた。関東平野北辺に位置し、関所が置かれ厳重に警備された。 宿内家数は404軒、うち本陣1、脇本陣1、旅籠25軒で宿内人口は1,741人。『ちゃんと歩ける日光街道 奥州街道』

17:00-17:00

中田宿址(古河市)

G 中田宿は「房川の渡し」を控え、元和10年(1624年)に創設。 宿内家数は69軒、うち本陣1、脇本陣1、旅籠6軒で宿内人口は403人。『ちゃんと歩ける日光街道 奥州街道』

18:00-18:00

古河公方館跡

古河市

「古河公方館跡」を   >

古河公方館は享徳4年(1455年)享徳の乱の際、初代古河公方足利成氏が築いたとされる館。堀、土塁が残る。『日本城郭大系 4』

18:00-18:00

古河公方館跡

古河市

「古河公方館跡」を   >

舘は御所沼に突き出た半島状台地に築かれた連郭式の中世城館であったとされる。天正18年(1590年)には最後の古河公方足利義氏の娘、氏姫の居館となった。

18:00-18:00

古河公方公園(古河総合公園)

古河市

「古河公方公園(古河総合公園)」を   >

坂東市から移築された旧中山家住宅。茅葺寄棟造直家形式の大型農家建築。延宝2年(1674年)頃に建造されたと推定される。

18:00-19:00

古河城址(古河市)

平安期、古河付近は下総国下河辺荘であり、小山政光の弟行義が下河辺荘氏となって下河辺氏を称しており、その子行平が初めてここに築城したと伝わる。渡良瀬川の改修で城の遺構は見られない。『日本城郭大系 4』

18:00-18:00

古河城下本陣址(古河市)

H 古河城下本陣址 後北条氏が滅亡すると、代々譜代大名が古河城主となった。歴代将軍日光社参の二泊目は古河城であった。 宿内家数は1,105軒、うち本陣1、脇本陣1、旅籠31軒で宿内人口は3,865人。『ちゃんと歩ける日光街道 奥州街道』

18:00-18:00

古河宿燈篭(古河市)

本町二丁目交差点に建つ「日光街道古河宿道標」 石造りで常夜灯形式、左日光道、右筑波道とある。文字は幕末の書家、小山霞外、梧岡、遜堂という父、子、孫三人の揮毫。

19:00-19:00

境屋 そば(古河市)

そばの境屋を探しあてて入ると満席で待っている人も・・・。名前を書いて待つ。と、若いカップルが席を譲ってくれるという!まだ大丈夫だから、と固辞。せいろと天ぷらそばを・・・。風味があって、のど越しがいい! 先に食べ終わったので、心ばかりのお礼を・・・。旨いそば、あたたかい心遣いにほっこり!

20:00-23:00

ビジネスホテルにし那須(那須塩原市)

ビジネスホテルにし那須は少々年季の入ったビジネスホテル。三階建てでエレベーターがない!ちょっと不便・・・

2日目2024年5月4日(土)
00:00-06:00

ビジネスホテルにし那須(那須塩原市)

早く寝たので、目が覚めるのも早い。

07:00-07:00

白川城跡

白河市

「白川城跡」を   >

白川城は結城祐広が築いたとされる山城であるが、築城の時期は定かではない。本丸、土居が残る。『日本城郭大系 3』

07:00-07:00

白河宿脇本陣址(白河市)

終点 白河宿脇本陣址 白河宿は白河藩十万石の城下町として発展。宿内家数1,285軒、うち本陣1、脇本陣2、旅籠35軒で宿内人口は5,959人。『ちゃんと歩ける日光街道 奥州街道』

07:00-07:00

小峰城跡

白河市

「小峰城跡」を   >

小峰城は興国期(1340-45年)白川結城氏の第三代顕朝を後見した親朝が築いた平山城。『日本城郭大系 3』

07:00-07:00

小峰城

白河市

「小峰城」を   >

寛永6年(1629年)幕府の命により、丹羽長重が小峰城の大修築を実施した。阿武隈川の流れを変え、東方と南方に向けて拡大するなど約4年の年月を要した。『日本城郭大系 3』

07:00-07:00

会津藩士戦没者の墓(白河市)

慶応4年(1868年)戊辰戦争の激戦地となった稲荷山のふもとにある会津藩戦死者の墓。道を挟んで新政府軍、長州・大垣藩士の墓がある。

08:00-08:00

白坂宿本陣址(白河市)

26 白坂宿本陣址 芦野宿と白河宿間が長い為、新設された。 宿内家数は71軒、うち本陣1、脇本陣1、旅籠27軒で宿内人口は289人。『ちゃんと歩ける日光街道 奥州街道』

08:00-08:00

芦野氏陣屋裏門

那須町(那須郡)

「芦野氏陣屋裏門」を   >

この長屋造の門は、旗本芦野氏の陣屋(現御殿山)の裏門として建造されたもの。芦野城は室町期(1336-1573年)の築城とされ、江戸期には芦野氏の住居(陣屋)が二の丸に置かれた。

08:00-08:00

芦野氏陣屋裏門

明治に入り陣屋の意義が失われると、建築物は売却された。大塩家の祖先が買い受け、解体して現地へ復元移築した。

08:00-08:00

芦野宿址(那須町)

25 芦野宿址 芦野氏は鎌倉初期からこの地を支配し、徳川期には三千石の旗本となった。 宿内家数168軒、うち本陣1、脇本陣1、旅籠25軒で宿内人口は350人。『ちゃんと歩ける日光街道 奥州街道』

08:00-08:00

芦野 ふじ棚(那須町)

芦野宿は旧街道の雰囲気が残る静かな集落。個人のお宅のようだが、立派なふし棚が!

08:00-08:00

館山城址(那須町)

館山城は応永期(1394-1428年)芦野氏が築いた山城。城は芦野氏の第二の城。郭が残る。『日本城郭大系 4』

08:00-09:00

伊王野城跡

那須町(那須郡)

「伊王野城跡」を   >

伊王野城は長享元年(1487年)伊王野氏が築いて南麓の館から移り住んだとされる山城。郭、土塁、空堀、大手門址などが残る。『日本城郭大系 4』

09:00-09:00

越堀宿桝形址(那須塩原市)

24 越堀宿址 参勤交代で江戸に向かう仙台藩の伊達侯が那珂川の川留めに遭い、小屋を建てたのが始まり。 宿内家数は113軒、うち本陣1、脇本陣1、旅籠11軒で宿内人口は569人。『ちゃんと歩ける日光街道 奥州街道』

09:00-09:00

鍋掛宿址(那須塩原市)

23 鍋掛宿址 難所那珂川を控え、対岸の越堀宿と二宿で一宿の機能を果たした。 宿内家数は68軒、うち本陣1、脇本陣1、旅籠23軒で宿内人口は346人。『ちゃんと歩ける日光街道 奥州街道』

09:00-09:00

芭蕉の句碑

那須塩原市

「芭蕉の句碑」を   >

鍋掛宿址に「野を横に 馬牽きむけよ ほとゝぎす」と詠んだ芭蕉の句碑が建つ。

09:00-09:00

大田原城跡

大田原市

「大田原城跡」を   >

大田原城は天文14年(1545年)大田原資清が築いた平山城。一部宅地化されているが、中心部は公園となり往時の姿をとどめている。『日本城郭大系 4』

09:00-09:00

大田原宿址(大田原市)

22 大田原宿址 大田原藩一万二千石の城下町として発展。日光北街道、黒羽道、塩原道の要衝を控え賑わった。 宿内家数245軒、うち本陣2、脇本陣1、旅籠42軒で宿内人口は1,428人。『ちゃんと歩ける日光街道 奥州街道』

09:00-09:00

八木沢陣屋址(大田原市)

八木沢陣屋は享和3年(1803年)天領の吹上陣屋の出張陣屋として一時的に築かれたもので、文政6年(1823年)吹上陣屋とともに真岡陣屋に併合された。

10:00-10:00

滝沢神社(大田原市)

滝沢神社は元禄12年(1699年)と記された棟札から江戸期の建立と見られる。飛龍、唐獅子、長鼻竜頭部、牡丹などの彫刻が施されている。大山祇命を主祭神とする。

10:00-10:00

不動の滝

大田原市

「不動の滝」を   >

本堂下に落ちる不動の滝は箒川にかかる滝である。水量が思ったより少なかった。

10:00-10:00

佐久山宿址(大田原市)

21 佐久山宿址 旗本福原氏五千石の陣屋町として発展。 宿内家数は121軒、うち本陣1、脇本陣1、旅籠27軒で宿内人口は473人。『ちゃんと歩ける日光街道 奥州街道』

10:00-10:00

喜連川城址(さくら市)

喜連川館は文禄2年(1593年)足利頼氏が築いた館である。現在当時の面影はまったくない。『日本城郭大系 4』

10:00-10:00

喜連川宿本陣址(さくら市)

20 喜連川宿本陣址 喜連川藩の陣屋町として発展。藩主喜連川氏は足利尊氏の流れを汲む「古河公方」。宿内家数は290軒、うち本陣1、脇本陣1、旅籠29軒で宿内人口は1,198人。『ちゃんと歩ける日光街道 奥州街道』 

11:00-11:00

氏家宿址(さくら市)

19 氏家宿址 勝山城が廃城となり禄を失った旧臣「平石佐渡守等三十六人宗」が宿形成に尽力した。 宿内家数235軒、うち本陣1、脇本陣1、旅籠35軒で宿内人口は876人。『ちゃんと歩ける日光街道 奥州街道』

11:00-11:00

さくら市ミュージアム−荒井寛方記念館−

さくら市

「さくら市ミュージアム−荒井寛方記念館−」を   >

さくら市ミュージアム―荒井寛方記念館−は1993年開館。仏画家であり日印文化交流の先駆者であった、当市出身の荒井寛方の作品や資料を展示する。

11:00-11:00

野口雨情 歌碑(さくら市)

ミュージアム敷地内に、高原颪(おろし)と題する野口雨情の詩碑が建つ。「さむいはずだ よ高原颪小雪 交じりて吹きお ろす」

11:00-12:00

白沢宿本陣址(宇都宮市)

18 白沢宿本陣址 慶長5年(1600年)徳川軍の上杉攻めの際、白沢村と上岡本村の庄屋たちが道案内をし、無事に鬼怒川を渡河させた。その功により両村が宿駅となる。 宿内家数は71軒、うち本陣1、脇本陣1、旅籠13軒、宿内人口は369人。『ちゃんと歩ける日光街道 奥州街道』

12:00-12:00

徳次郎宿址(宇都宮市)

日光18~20 徳次郎宿址 下、中、上の三宿で一宿とした。 宿内家数は168軒、うち本陣1、仮本陣1、脇本陣3、仮脇本陣1、旅籠72軒で宿内人口は653人。『ちゃんと歩ける日光街道 奥州街道』

12:00-12:00

徳次郎城址(宇都宮市)

徳次郎(とくじら)城は新田氏が築いた館であることしか分かっていない。『日本城郭大系 4』

12:00-12:00

徳次郎城址(宇都宮市)

城は東側を流れる田川を利用した四つないし五つの郭からなる館で、現在、林になっているが、遺構は良好な状態で残っている。『日本城郭大系 4』

12:00-12:00

宇都宮城址公園

宇都宮市

「宇都宮城址公園」を   >

宇都宮城は、鎌倉期を通じて、鎌倉御家人と宇都宮惣検校を兼ねた宇都宮氏の居館として出発したものと思われる。南北朝期になり、掘割を深くし、土塁を積み上げ城郭へと変貌をとげていった。『日本城郭大系 4』

13:00-13:00

宇都宮宿本陣址(宇都宮市)

17 宇都宮宿本陣址 宇都宮は二荒山神社の門前町として栄えた。地名は下野国「一の宮」や奥州攻めの源氏勢が戦勝祈願をした「討つの宮」を由来とする。その後宇都宮藩の城下町として発展。 宿内家数は1,219軒、うち本陣2、脇本陣1、旅籠42軒で宿内人口は6,457人。『ちゃんと歩ける日光街道 奥州街道』

13:00-13:00

松が峰教会

宇都宮市

「松が峰教会」を   >

カトリック松が峰教会は1888年に創立されたが、大谷石建築の現聖堂は1932年、スイス人建築家マックス・ヒンデル設計、宮内初太郎と石工安野半吾により竣工。大谷石建築としては現存最大級のロマネスク・リヴァイヴァル建築の会堂は、実に重厚で堂々としている。

13:00-13:00

松が峰教会

宇都宮市

「松が峰教会」を   >

二階の会堂内部が公開されており、撮影も許されている。

14:00-14:00

雀宮宿本陣址(宇都宮市)

16 雀宮宿本陣址 宿内家数は72軒、うち本陣1、脇本陣1、旅籠38軒で宿内人口は268人。『ちゃんと歩ける日光街道 奥州街道』

14:00-14:00

石橋宿本陣址(下野市)

15 石橋宿本陣址 石橋の地名は池上明神前の石橋に由来する。宿は幕府領で代官北条雄之助が支配。 宿内家数は79軒、うち本陣1、脇本陣1、旅籠30軒、宿内人口は414人。『ちゃんと歩ける日光街道 奥州街道』

15:00-15:00

慈眼寺(下野市)

多宝山慈眼寺は建久7年(1196年)新田義兼開基になる真言宗智山派の古刹である。

15:00-15:00

慈眼寺

朱塗りの千手観音堂。本尊は十一面観世音菩薩。

15:00-15:00

小金井宿址(下野市)

14 小金井宿本陣址 延宝9年(1681年)宿の西にあった金井村を移住させて宿駅とした。宿内家数165軒、うち本陣1、脇本陣1、旅籠43軒で宿内人口は767人。『ちゃんと歩ける日光街道 奥州街道』

15:00-15:00

新田宿址(小山市)

13 新田宿本陣址 新田宿は日光山、赤城山、太平山の眺望が最も良いとされた。 宿内家数は59軒、うち本陣1、脇本陣1、旅籠11軒で宿内人口は244人。『ちゃんと歩ける日光街道 奥州街道』

15:00-15:00

興法寺(小山市)

徳王山妙楽院興法寺は嘉祥2年(849年)円仁が建立した一宇、妙楽院に始まると伝わる天台宗の古刹である。十三層塔は浅草寺境内から移されたもの。

15:00-15:00

興法寺(小山市)

手入れの行き届いた境内、庫裡。とても気持ちが落ち着く。阿弥陀三尊を本尊とする。

16:00-16:00

小山氏城跡祗園城跡

小山市

「小山氏城跡祗園城跡」を   >

祇園城址の大銀杏。 小山城(祇園城)は藤原秀郷の裔、小山政光によって平安末期に築かれたとされるが、詳細は不明。土塁、空堀、櫓台が残る。『日本城郭大系 4』

16:00-16:00

中久喜城址(小山市)

中久喜城は久寿期(1154-56年)小山政光が先祖藤原秀郷の由緒ある地に築いたとされる平城。『日本城郭大系 4』

16:00-16:00

中久喜城址(小山市)

中久喜は小山と結城のほぼ中間にあり、小山城と結城城の繋ぎの役割を果していた。土塁、空堀が残る。『日本城郭大系 4』

16:00-16:00

小山宿本陣址(小山市)

12 小山宿本陣址 小山は壬生通り、結城道、佐野道が集中する要衝で賑わった。 宿内家数は423軒、うち本陣1、脇本陣2、旅籠74軒で宿内人口1,392人。『ちゃんと歩ける日光街道 奥州街道』

16:00-16:00

小山氏城跡鷲城跡

小山市

「小山氏城跡鷲城跡」を   >

鷲城築城の詳細は不明であるが、小山義政の時代には小山氏の本城であった。土塁、空堀、物見台、井戸址などが残る。『日本城郭大系 4』

16:00-16:00

小山氏城跡鷲城跡

小山市

「小山氏城跡鷲城跡」を   >

城は小山城に続く思川東岸の丘陵地帯に立地し、中城と称される所は畑地となり、鷲神社の境内となっている。『日本城郭大系 4』

17:00-17:00

大橋訥庵宅址(小山市)

大橋訥庵は昌平黌教授佐藤一斎門下の俊才で、日本橋に思誠塾を開いて青年志士に思想的影響を与えた。しかし、尊王攘夷を唱え、坂下門外の変への関与を疑われて投獄され、出獄後病没した。妻巻子が当地粟宮の医師の娘であったことから、この地に居住した。

17:00-17:00

間々田宿址(小山市)

11 間々田宿址 間々田は思川の乙女河岸を控え物資の集積地として賑わった。 宿内家数は175軒、うち本陣1、脇本陣1、旅籠50軒で宿内人口は947人。『ちゃんと歩ける日光街道 奥州街道』

17:00-17:00

小山市立車屋美術館

小山市

「小山市立車屋美術館」を   >

車屋美術館は、登録有形文化財に登録された小川家住宅の米蔵を、本格的な美術展示室として改装、主屋・庭園なども一般公開し、2009年に開館。

17:00-17:00

小山市立車屋美術館

小山市

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白壁の蔵が並ぶ。小川家はかつて思川の河川舟運を利用して肥料問屋を営んでおり、明治の終わり頃、鉄道の便のよい現在地に移転した。

18:00-18:00

羽生PA(上り)

先回迷ったあげく食べそこねた「ネギみそ」をいただく。深谷ネギがたっぷり! 細麺が出汁を含んでなかなか良し!

23:00-23:00

豊橋パーキングエリア(下り)

豊橋 PA の今日の花は鮮やかな紫陽花!

奥州街道沿いの宿場・城址・古刹

1日目の旅ルート

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