Shotaさんの愛知県〜沖縄県の旅行記
沖縄本島をざっとひと回り―那覇・具志川城址・ひめゆりの塔・海洋博公園・今帰仁城址・ヤクバルクイナ展望台・名護城址・座喜味城址・道の駅かでな・首里城
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沖縄でセミナーを実施することになったので、前後に沖縄の城(グスク)址や美しい海、ひめゆりの塔などを訪ねることにした。ところが、ちょうど梅雨に突入! 初日から激しい雨に悩まされた。 沖縄の城・グスクは、祈祷所など聖域としての性質、住居の集まった集落としての性質、城館としての性質をあわせ持ち、これまで見てきたいわゆる城郭・砦とは必ずしも同一ではないような印象を持った。 セントレア―那覇−具志川城址−ひめゆりの塔−海洋博公園−今帰仁城址−ヤンバルクイナ展望台−名護城址−伊波城址−座喜味城址−屋良城址−道の駅 かでな―首里城址−那覇−セントレア
歴史ツウ Shotaさん 男性 / 70代
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- 1日目2024年5月24日(金)
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07:00-08:00
近くの駐車場に愛車を預け、セントレアまで送っていただく。日本航空・JTA045便の搭乗手続きを終えて、半世紀ぶりに機上の人となった。
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11:00-11:00
11時40分、那覇空港着陸。やはり天候はよくない。さあて、どうするか・・・。
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12:00-13:00
「ゆいレール」(那覇市内を東西に走るモノレール)で首里駅まで。降りてみると、首里城址に近いはずだか何もない。雨がひどいので、カサをと思うが、コンビニも離れている。仕方がないのでバスターミナルのある「旭橋」まで戻る。
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14:00-14:00
那覇オーパ(那覇市)
那覇オーパの百均でカサを調達。レストランは入っておらず、カフェでオムライスをいただく。
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14:00-14:00
那覇バスターミナル(那覇市)
旭橋の近くにある「那覇バスターミナル」 第二次大戦前走っていた鉄道は沖縄戦で破壊された。バスが主要な交通手段とあって那覇市内を網の目のようにバス路線が通っている。このターミナルからはなんと 70路線が発着している。
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14:00-15:00
「国際通り」は那覇市の県庁北口交差点から安里三叉路までの約1.6km。時代とともに形態は変わりつつあるようだが、那覇最大の繁華街といわれインバウンドで溢れている。
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16:00-23:00
ホテルエアウェイ(那覇市)
雨の中、歩きまわって疲れたので、バスで「ホテルエアウェイ」へ。バス停のすぐ側なのに、ナビに振りまわされてグッタリ。早速、フロに。
- 2日目2024年5月25日(土)
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00:00-08:00
ホテルエアウェイ(那覇市)
ホテルの方に、バジェットレンタカー那覇空港店への道案内をしていただいた。ホテル前のバス停から出発。
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09:00-10:00
バジェットレンタカー那覇空港店(豊見城市)
最寄りのバス停からバジェットレンタカーまでが遠かった・・・。電話も通じず、諦めてタクシーに連れて行ってもらう。 慣れないシフトを操作しながら、何とか出発。
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10:00-10:00
土佐藩中ノ浜村の漁師、ジョン万次郎は遭難して米国の捕鯨船に救助されて渡米。航海術や造船、測量技術などを学び、約10年過ごした後、鎖国下の日本へ帰国。1851年(嘉永4年)糸満市大度付近に上陸し、取り調べのため翁長村の高安家に留め置かれた。その後、咸臨丸で太平洋を再び横断、日米修好条約調印使節の通訳官を務めるなど幕末から明治にかけて活躍した。
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10:00-10:00
南山グスクは14世紀から15世紀初頭、いわゆる三山分立時代の山南王の居城とされ、大里按司(あじ)によって築かれたと伝わる山城。石積みが残る。『日本城郭大系 1』
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10:00-10:00
南山グスクは、大里部落を見下ろす細長い丘の上に築かれていたが、1915年(大正4年)頃城域に小学校を建築した際、原形が大きく改変された。城内からはグシク時代の土器、輸入陶磁器が採集された。『日本城郭大系 1』
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11:00-11:00
具志川グスクは、沖縄本島最南端、喜屋武の海岸へ突き出た珊瑚性石灰岩の断崖上に築かれた城である。『日本城郭大系 1』
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11:00-11:00
銘板には、久米島の具志川城主・真金声(まかねくい)按司が伊敷索(いしきなわ)按司の二男・真仁己樽(まにくたる)按司に攻められ、この地に逃れて同名の具志川城を築いたといわれるとある。
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11:00-11:00
城壁は一の郭、二の郭ともに野面積みで、二の郭には海に通じる「火吹き穴」があり、海岸へ下りることも出来るようになっている。城壁は崩れてはいるがよく残っている。『日本城郭大系 1』 城壁を背に青い海を眺めるのは気持ちが良い。
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12:00-12:00
「ひめゆりの塔」は沖縄戦末期、沖縄陸軍病院第三外科が置かれたガマ(壕)の跡に立つ慰霊碑。1946年(昭和21年)4月7日除幕。
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12:00-12:00
沖縄戦とひめゆり学徒隊
沖縄戦末期、首里の軍司令部に米軍が迫り、日本軍は南部に撤退。沖縄陸軍病院の関係者と学徒隊は糸満一帯の六つの壕に分かれる。さらなる攻撃を受けて軍は「解散命令」を発する。塔の立つガマにはおよそ100名が隠れていたが、米軍の攻撃を受けて80名あまりが亡くなった。
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12:00-12:00
ひめゆりの塔の立つガマ(壕)の前に立てられた石板には犠牲者の氏名が刻まれている。
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12:00-12:00
「いはまくらの碑」 「いはまくら かたくもあらん やすらかに ねむれとぞいのる まなびのともは」と彫られた石碑。ひめゆり学徒の引率教師 仲宗根政善の捧げた歌。(1946年4月7日)
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12:00-12:00
「ひめゆり平和祈念資料館」はひめゆりの塔の奥に1989年(平成元年)開館した資料館。学徒隊の戦没した生徒や教員の写真が壁中に貼られ、生前の人柄や死亡時の状況が解説されている。
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12:00-12:00
ひめゆり平和祈念資料館(糸満市)
資料館内には、第三外科壕を底から見上げた形のジオラマや南風原陸軍病院壕の一部を再現した模型が展示されている。
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13:00-13:00
琉球の館 みやげ物や特産物が並んでいる。食堂があるので入ってみる。ソーキそばやゴーヤチャンプルがダメなので、残りはステーキということになった。肉はどうかなと思ったが、ペロリと!
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14:00-18:00
沖縄三育小学校(北中城村)
セミナー会場は小学校に併設されている教会。沖縄まで月一で通うわけにはいかないので、一回のみ。ただし、二時半から五時半すぎまで。ご出席の皆さま、お疲れさまでした。
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20:00-23:00
宿泊 F-tei エフ邸(本部町)
本部まで走って、丘の上の別荘風のエフ邸に到着。さーてフロに・・・と思うと、シャワーのみ!たしかバス付とあったと思ったのだが・・・。
- 3日目2024年5月26日(日)
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00:00-06:00
宿泊 F-tei エフ邸(本部町)
パジャマも寝間着もないので、次の日に着る下着で休んだので寝汗が・・・。冷蔵庫もおもちゃのようで用をなさない。小型でいいのでまともなモノがほしい。−邸、なのだから・・・。
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07:00-07:00
通称「海洋博公園」は「国営沖縄記念公園海洋博覧会地区」を指し、1975年(昭和50年)7月から翌年1月にかけて開催された沖縄国際海洋博覧会の跡地に設けられた。国営沖縄記念公園の本部町地区になる。
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07:00-07:00
海洋博公園には、沖縄美ら海水族館、エメラルドビーチ、おきなわ郷土村、おもろ植物園、海洋文化館、熱帯ドリームセンターなどが点在している。
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07:00-07:00
備瀬埼灯台(本部町)
備瀬埼灯台は本部町備瀬埼に1972年(昭和47年)建設された白塔円形コンクリート造の灯台。ただたどり着くのは難しそうだ。
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07:00-07:00
本部町備瀬地区は、碁盤の目のように区画された村落で、約250戸ある住宅のほとんどは防風林として繁茂したフクギの林に囲まれている。数千本に及ぶフクギの最も古いものは推定樹齢300年といわれる。
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07:00-08:00
今帰仁グスクの築城時期は明らかではないが、1322年頃怕尼芝(はねじ)が城主となり、その後、四代目の攀安知(はんあち)に至る94年間に大修築がなされ、今日の規模に達したとみられる。 一の郭礎石・石積みが残る。『日本城郭大系 1』
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07:00-08:00
歴史が古く、城域が大きく、遺構がよく残っており、縄張りが珍しく複雑な今帰仁グスクは、屏風形の曲線を描いた沖縄屈指の名城である。『日本城郭大系 1』
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07:00-08:00
広大な城域にゆったりとした曲線を描く大隅の外周石垣が美しい。右手に平郎門があり中心部に進むことができる。広大だがよく整備されている。
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08:00-08:00
「百按司墓(むむじゃなばか)」は今帰仁村運天にある崖の中腹の洞窟を利用して作られた墓。被葬者は北山王とその一族、または第一尚氏系北山監守と推定されている。
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08:00-08:00
保元の乱(1156年)に敗れ、伊豆大島を出た源為朝が嵐に遭い、「運を天に任せて流れ着いたところ」が現在の運天であるという言い伝えがある。源為朝上陸の碑が建つ。
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09:00-09:00
「ヤンバルクイナ展望台」は沖縄本島最北端にある高さ11.5mの展望台。村の鳥「ヤンバルクイナ」をモチーフにしている。
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09:00-09:00
展望台と周囲の遊歩道からは辺戸岬と周辺の雄大な景勝地を楽しむことができる。
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10:00-10:00
「やんばる(山原)」とは、沖縄本島の北部地域を指し、「山々が連なり森の広がる地域」を意味する。国頭村、大宜見村、東村を合せた三村が「やんばる三村」であるから、かなり広大な地域が含まれる。
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11:00-11:00
名護グスクは14世紀初期、今帰仁(北山)系統の名護按司が築いた山城。グスクには当時のものと思われる石積みが見られない。調査が待たれる。『日本城郭大系 1』 一帯は「名護中央公園」として整備されている。
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11:00-11:00
「ブセナ海中公園」は珊瑚礁と熱帯魚を観賞できるクジラ型の遊覧船、海中展望塔などをもつ海中公園。あいにくの天候なので園内を回るシャトルバスと曇った空と海を一枚。
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12:00-12:00
當山久三像(金武町)
「當山久三」(1868年−1910年)は金武町並里出身の社会運動家、政治家。沖縄県における海外移民事業の主導者として知られ、「沖縄海外移民の父」と称される。
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12:00-13:00
伊波グスクは13−14世紀、伊波按司が築いたのではないかとされる山城。石川市街南方約1kmの丘上にある、いわゆる崖端占地形式のグスク。石積みが残る。『日本城郭大系 1』
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12:00-13:00
城内の中央部には火の神を祀った祠があり、その東部には森城獄が祀られ、その南方見張所あたりに、今帰仁への遥拝所と大東(うふあがり)の拝所がある。『日本城郭大系 1』 グスクの祈祷所としての性質を表わしている。
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13:00-13:00
座喜味グスクは15世紀初頭、築城家として名高い護佐丸が築いた戦略的居城である。一の郭並びに拱門・二の郭並びに拱門が残る。『日本城郭大系 1』 グスクの戦略拠点としての性質を表わす。
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13:00-13:00
座喜味部落の北端に位置するグスクの頂上は標高127m。首里、那覇、西の慶良間諸島、久米島、渡名喜島、粟国島、伊江島、伊平屋島諸島が全望できる。沖縄戦では高射砲陣地となり、戦後は米軍基地が置かれた。このグスクは古今を問わず軍事的要所であった。『日本城郭大系 1』
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13:00-13:00
屋良グスクについては古記録が皆無で築城・来歴などは定かではない。琉球史上著名な勝連城主阿麻和利の生誕したグスクと伝承されているのみ。『日本城郭大系 1』
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13:00-13:00
グスクは比謝川の中流沿い、米軍嘉手納基地の北端から約500m北方に位置する。一の郭付近の地下から、掘立柱の建物址・敷石建物址・溝状遺構などが検出されている。『日本城郭大系 1』
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13:00-13:00
野國總管像(嘉手納町)
野國總管(のぐにそうかん)とは本来役職名であるが、一定期間(1596−1615)この役職についていた、与那覇松(ヨナハ マチュー)ではないかとされている。
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13:00-13:00
野國總管と甘藷
野國總管(個人)は旱魃などで苦しむ農民のために、中国から蕃薯(ばんしょ。サツマイモ)を持ち帰って広めた。これによって餓死・凶作を克服することができたとされる。
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14:00-14:00
「道の駅 かでな」は嘉手納空軍基地に隣接するかなり大きな道の駅。昨年(2023年)道の駅登録20周年を迎えた。
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14:00-14:00
「ぼくの町には基地がある」というパネルで始まる展示を、三階の学習展示室では見ることが出来る。嘉手納の町の歴史・文化・現状に関するかなり詳細な資料が展示されている。
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14:00-14:00
四階の展望所に置かれた、嘉手納基地を中心とするジオラマ。町の面積の82パーセントを基地が占めているという。
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14:00-14:00
4,000m級の広大な二本の滑走路とその脇に細く長く続く農地との対比は、いささか衝撃的であった。
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14:00-14:00
ステーキハウス 88 読谷店(読谷村)
前日の経験から、手頃なステーキ・ハウスを物色。ステーキハウス 88 にたどり着いた。大きさは控えめに・・・。軟らかくて旨い!
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15:00-16:00
首里グスクの創築については分かっていない。14−17世紀末頃、察度王統の頃ではないかと推測されている。『日本城郭大系 1』
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15:00-16:00
首里城要図
城域は、東西約400m×南北約270m、周囲を高さ6mから15m、厚さ3.6mの珊瑚石灰岩の石積みでめぐらし、その上には、中国にならって厚さが0.9−1.2m、高さが0.9−1.5mの牆壁が設けられていた。
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15:00-16:00
「守礼門」は首里を東西に貫く「綾門大道」の東側に位置する牌楼型の楼門。日本城郭の大手門に相当する。創建年代は特定できないが、琉球王国第二尚氏王朝四代目の尚清王(在位1527−55年)の時に建てられたことは分かっている。『日本城郭大系 1』
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15:00-16:00
首里グスクの拝所で最も重要な園比屋御獄(そのひやんうたき)石門は1511年(永正8年)建立。今次大戦で大破したが、1955年(昭和30年)復旧。『日本城郭大系 1』 石門は竹富島の西塘(にしとう)の作と伝わる。石材は主に琉球石灰岩を用い、板葺唐破風屋根は日本と中国の様式を合せた沖縄独特のものになっている。
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15:00-16:00
石門とその奥の森を園比屋御獄といい、王府の祈願所であった。石門は神社でいう拝殿にあたるが、本殿に相当する建物はなく石門の背後に広がる森がそれにあたるという。
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15:00-16:00
首里グスクの城郭内に入る第一の正門、歓会門。中国皇帝の使者「冊封使」(さっぽうし)などを歓迎するという意味でつけられた名称。「あまへ御門(うじょう)」ともいう。「あまへ」は沖縄の古い言葉で「歓んで迎える」を意味し、「歓会」はその漢訳。
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15:00-16:00
歓会門
歓会門は1500年前後に創建。沖縄戦で焼失したが、1974年(昭和49年)復元。 門両側の獅子像「シーサー」は魔除けの意味をもつ。
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15:00-16:00
瑞泉門の名は、門前に湧く龍樋(りゅうひ)の水が瑞泉(りっぱな、めでたい泉の意)とたたえられたことに由来する。別名「ひかわ御門(うじょう)」ともいう。「ひ」は樋(とい)のことで、「かわ(川)」は井戸や泉をさす。
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15:00-16:00
瑞泉門
瑞泉門の創建は1470年頃。沖縄戦で焼失し、1992年(平成4年)復元。双璧の石門の上に櫓が乗っており、日本本土の城門と共通している。
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15:00-16:00
漏刻(ろうこく)とは、中国語で水時計。この門の櫓に水槽(水時計)が置かれ、門をすぎた広場には日時計があって、その二つで時刻をはかり、太鼓をたたいて時を知らせた。
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15:00-16:00
漏刻門
漏刻門の創建は15世紀頃。老朽化のため昭和初期に撤去されていたものを1992年(平成4年)復元。別名「かご居せ御門(うじょう)」ともいい、駕籠で登城することを許されていた身分の高い役人も国王に敬意を表して、この門で駕籠から下りたとされる。
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15:00-16:00
漏刻門付近から
漏刻門前から、女性用の通用口として使われていた久慶門(きゅうけいもん)、那覇市内を見おろす。
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15:00-16:00
奉神とは文字通り「神をうやまう」の意。向かって左は薬・茶・タバコなどを扱った「納殿(なでん)」、右は城内の儀式などに使われた「君誇(きみほこり)」という部屋になっていた。中央は国王や中国からの冊封使(さっぽうし)など身分の高い人だけが通ることのできた入口。
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15:00-16:00
奉神門
別名「君誇御門(きみほこりうじょう)」と呼ばれた奉神門は、1562年以前に創建されたと考えられ、明治末期に撤去されたが、1992年(平成4年)復元。
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15:00-16:00
首里城の御獄
御獄(うたき)とは沖縄の聖地または拝所を指す。琉球の神話では、この御嶽は神アマミク(アマミキヨ)が創った聖地であり、首里城内で最も格式の高い拝所のひとつとされる。石積内の植物はガジュマルやクロツグで、1997年(平成9年)に復元された。
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15:00-16:00
首里城の十獄
城内には、ここを含めて「十獄(とたけ)」と呼ばれる 十か所の拝所があったとされる。この首里森御獄(すいむいうたき)の門扉の前では、旧暦正月三日の初行幸や普天間参詣など国王自ら外出する際、また百人御物参(ももそおものまいり)などに、国王はじめ諸臣、そして王国時代の神女たちが祈りを捧げたとされる。
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15:00-16:00
首里城 大龍柱
大龍柱 与那国産の細粒砂岩で作られた大龍柱は首里城正殿の大きな特徴のひとつである。火災の影響を受けながらも屹立していたが、ひび割れなどの損傷が多く、補修がなされた。
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15:00-16:00
首里城 正殿
正殿の創建は14世紀末と見られており、これまでに五回、焼失・再建を繰り返してきた。2019年(令和元年)10月31日未明の火災により焼失したが、現在2026年の完成を目指して復元工事中である。
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15:00-16:00
首里城の守衛さん 琉球の衣装を身につけていらっしゃる。
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二重三階の入母屋造りの首里城正殿。1992年(平成4年)復元。『日本の城』 中国の宮廷建築と日本の建築様式を踏まえつつ、琉球独特の意匠にまとめられている。木造の三階建で、一階は「下庫理(しちゃぐい)」と呼ばれ、国王自ら政治や儀式を執り行う場、二階は「大庫裡(うふぐい)」と呼ばれ、国王と親族・女官らが儀式を行う場であった。三階は通気を目的とした屋根裏部屋になっている。
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17:00-17:00
バジェットレンタカー那覇空港店 返却口(豊見城市)
ガソリンを満タンにして、レンタカーの返却口に着いたのが5時20分。20分の遅刻!それでもバスで那覇空港まで送ってくださった。
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17:00-17:00
那覇空港の出発ロビーで搭乗手続きを済ませ、そば屋に入った。どんな蕎麦が出てくるか・・・。なんだかもっちゃりした、蕎麦らしくない麺!んーん。
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18:00-19:00
那覇空港 定刻より少し遅れて、日本航空・JTA046便に搭乗開始。帰路、お隣は通路を挟んで10か月の坊や。ご想像の通り・・・。
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21:00-22:00
途中台風の影響で少し揺れたが無事セントレアに着陸。帰路についた。
沖縄本島をざっとひと回り―那覇・具志川城址・ひめゆりの塔・海洋博公園・今帰仁城址・ヤクバルクイナ展望台・名護城址・座喜味城址・道の駅かでな・首里城
1日目の旅ルート
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