観光MAP

レストハウスあり。筒城浜海水浴場背後。テニスコート・体育館・グランド・野外ステージ有り。

736年、聖武天皇の御代に遣新羅使一行の一人だった雪連宅満の墓。宅満はこの地で志半ばに病死しましたが、彼のことが万葉集巻十五に歌として残されています。

内海の島であった青島に橋を架け公園として整備している。多目的グランド,テニスコート,アスレチック施設を設けた施設,展望台等がある。子供用乗り物もレンタルしているので家族揃って楽しめる。島には広範囲でハマユウが自生している…

男岳山頂近くの神社。猿田彦命が祭神。家内安全、合格祈願、子宝祈願など、願掛け、成就に奉納されたものである。最初は牛の健康、繁殖を祈願し石牛を奉納していたと言われる。今では石猿が多く200体を超える石猿が石壇上に並ぶ。男岳は…

741年(天平三年)に全国に国分寺創建の詔が発せられた。壱岐では1738年,現在地に再興。かつての国分寺跡は県の史跡。本堂には本尊の他に弘法大師像が安置されている。この像は60年に1回だけ開扉される秘仏である。

18世紀中期の壱岐独特の百姓武家の建物を移築復元したもの。周辺はくり抜き式形石棺をもつ掛木古墳・丘陵に古墳が群集する百合畑古墳群、金銅製の馬具が出土した笹塚古墳、二重の空堀を持つ中世の山城・生池城跡を巡る歴史散策コースとな…

壱岐市民の福祉増進、新しい町づくりの推進及び都市と農村の交流を深めるため、体験型農村交流施設「壱岐風民の郷」があります。丘の上にシンボルである風車が見え、その下に多くのビニールハウスが並んでおり、畑やビニールハウスで芋掘…

遠浅白浜の海水浴場。勝本港から海水浴シーズンだけ渡海船が出る。船が接岸するところからそのまま海水浴場に直行できる。接岸するところには熱帯魚やイカ等がおよいでいる所を見物できる。弓状にのびた白いビーチは南国のよう。海浜植物…

俳人芭蕉門下10哲の1人として有名で奥の細道の旅に随行した曽良。巡国使の一員として壱岐に渡り,勝本浦の中藤家で宝永7年5月22日没す。墓は勝本町能満寺にある。城山公園の一角「春にわれ 乞食やめても 筑紫かな」との句碑が残ってい…

元寇の役で一族諸共自害した守護代平景隆公を祀る。壱岐の守護代、平景隆の本陣。樋詰城跡にある。

神功皇后三韓征討にまつわる行宮の地で皇后を祀る。創建時期は奈良時代と言われている。門は文禄の役の時に加藤清正によって寄進された。のどかな牛の石像は名工山内利兵衛の作。また、神社所蔵の茶壺は「天正20年」(1592)の古唐津焼で…

対馬暖流に乗り様々な漁種が回遊する豊かな海。イカ釣り漁業がひしめく勝本港は活気にあふれている。漁は夜、漁火を煌々焚いて漁をする。沖合にきらめく灯りは勝本の夜の風物詩でもある。港に沿って家々が、ひしめくように建っていて、迷…

イルカパークのある串山半島の先端、串山海水浴場に隣接するキャンプ場。トイレ、シャワー、炊事場などの設備が整っている。快適なキャンプを1年中とおして楽しめる。

1591年(天正9年)、豊臣秀吉が朝鮮出兵に備えて平戸藩主松浦鎮信に命じて築城させた城。海抜78.9mの山頂部に築城。一の門と二の門の間にあった枡形と、その左右の石垣が残っている。国指定の史跡。周辺は城山公園として整備され、蕉門…

猿岩の展望所から1分。昭和3年8月から6年かけて完成。口径41cmのカノン砲二門の砲台で、砲身の長さ18.83m、弾丸の重さ1トン、最大射程距離35km、同じ規模の砲台が韓国プサンと対馬にあったが、ここは一発も実弾を発射する…

すぐ裏が海という「大幸」では、たっぷりとウニのかかった『生ウニ丼』が評判。生ウニを約20個も使い、板ウニを一切使わないというこだわりが、まさに壱岐の味。サザエとウニを炊き込んだ『ウニめし定食』(2100円)もおすすめの逸品…

大きなご主人の顔看板が目印。やっぱりココの名物はウニメシ(2100円)。ホカホカのご飯の上に生ウニをのせてタレをかけた、通称「ぶっかけ」。シンプルだけど最高にウマイ!イカ・エビ・カニが入った『いかまんじゅう』もオススメ。…

生ウニが美味しいお店です。

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