部屋タイプ
わが家じゃないけど わが家みたい いつもと違うけど いつもみたい そんなペンションをつくりたいと思っています ペンションの周辺は遊び場所がたくさん 釣りもピクニックも楽しめます あそび疲れたら ペンションいっぺき湖へいらしてください わが家は林の中 バードウォッチングが楽しめます 好きな本をたくさん持って 読書にあきたら温泉へ そんなゆったりした時間も過ごせます 思いっきり遊びたい人 のんびり休養したい人 さわやかに過ごして頂けるよう お手伝いしたいと思います わが家のつもりでいらしてください お待ちしています。
プラン内容
このページでは、北条義時と八重姫をご紹介します
1180治承4年10・19、伊東祐親は富士川の合戦へ向かうところ鯉名の湊で捕まります。頼朝は祐親を次女の夫、三浦義澄に預ける、娘の下で暮らして一年半。1182寿永元2・15、前勘を恥じると言い残して、自ら腹を切って死んでしまう。頼朝は「臍を食うに益無し」悔やんでも悔やんでも、その死を悼みます。伊東祐親はいまも、鐙摺山に眠る。
同じ年の夏、八重姫を北条義時に嫁がせます。時政は怒るのですが、義時は黙って受け入れた。叔母と甥、あってはならない結婚だから。頼朝にしてみれば、父を亡くした八重姫を託せる人はほかにいない。また、時政が預かった幼い千鶴丸、継父となるのは義時しかいなかった。
結果として、頼朝の八重姫と千鶴丸への思いが、北条泰時の誕生。鎌倉幕府の政治の安定につながった。伊東祐親は千鶴丸を川へ沈めたことにして、娘と孫を守ることができた。伊東の歴史、ぜひぜひお楽しみください。