部屋タイプ
わが家じゃないけど わが家みたい いつもと違うけど いつもみたい そんなペンションをつくりたいと思っています ペンションの周辺は遊び場所がたくさん 釣りもピクニックも楽しめます あそび疲れたら ペンションいっぺき湖へいらしてください わが家は林の中 バードウォッチングが楽しめます 好きな本をたくさん持って 読書にあきたら温泉へ そんなゆったりした時間も過ごせます 思いっきり遊びたい人 のんびり休養したい人 さわやかに過ごして頂けるよう お手伝いしたいと思います わが家のつもりでいらしてください お待ちしています。
プラン内容
このページでは、十六夜日記の作者 阿仏尼をご紹介します。
1243寛元元年6月15日 北条泰時の一周忌、そして大仏供養が行われます。翌年2月 北条義時の孫、冨士姫公が駿河の国へ向かいます。4月10日は駿河の国から旅立ちです。京都に入ると中納言藤原国通が迎えます。それから安嘉門院の侍、平度繁朝臣の養女となって、院の御所へ仕える。
安嘉門院は父から譲られた220の荘園を抱える大きな御所で、実はこの資産が承久の乱で、宮方の資金になりました。この荘園を父後高倉院へ。また、14歳の安嘉門院がそれを相続する。この流れを作ったのが、六波羅時代の泰時です。こうした経緯で、阿仏が安嘉門院へ入る。また、阿仏の妹も院に仕えるようになる。
阿仏のお墓は2つあって、ひとつは鎌倉英勝寺、そして京都の大通寺です。大通寺は実朝が頼朝から相続した京都の御所、源氏ゆかりのお寺です。阿仏は義時の孫であるとともに、頼朝の孫である。手紙のやり取りでは「ふるさと」の言葉がよく使われます。でも、そのふるさとがどこであるのか、決して明かさない。十六夜日記の29日、鎌倉へ入ります。