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  • 黒田官兵衛  奇策・岡山備中高松城水攻め NO.2

    更新 : 2014/7/6 13:59

    この前のあらすじは 湯郷グランドホテルのトピックスをご覧ください。

    http://www.jalan.net/yad374120/blog/entry0003020337.html?screenId=UWW3001&dateUndecided=1&adultNum=2&rootCd=04&childPriceFlg=0&callbackHistFlg=1&distCd=01&smlCd=330808&roomCrack=200000&selYm=&contHideFlg=1

    この策を受け入れた秀吉は、直ちに水攻めに向けた築堤に着手した。城の近くを流れる足守川の東・蛙ヶ鼻から全長約3km、高さ約7mの堤防を築き、そこに足守川の水を引き込むことで、備中高松城を水の中に取り残された浮城にしてしまったのだ。この築堤工事はわずか12日間で完成したと伝えられている。援軍に駆け付けた毛利氏側の武将、小早川隆景、吉川元春らは、孤立する備中高松城の状況を前に為す術もなかった。



    孤立した備中高松城の城兵を見殺しにすることはできない。毛利氏方は、ついに秀吉に対して講和を申し入れた。
    城兵の安全と中国5か国の譲渡を講和の条件として申し入れるものの、清水宗治の切腹にこだわった秀吉はこれを拒否。交渉はいったん物別れに終わる。

    まさにそのとき、秀吉のもとに急報が入った。
    京都にいる信長が明智光秀の謀反によって命を落としたというのだ。世にいう「本能寺の変」である。事態を知り、ひどく落ち込む秀吉に対して、黒田官兵衛は「光秀を討てば、天下が回ってきましょうぞ」と鼓舞。秀吉は、信長落命の事実を毛利方に知られることなく、一刻も早く和睦を結ぶべく動き始める。



    秀吉は、毛利方に「3日中に和睦を結べば領土については譲歩する。宗治の首を差し出せば、城兵を助ける」という条件を提示。この条件を聞いた宗治は、自分の命により主君を安泰にし、部下の命を助けることができるのならば、自らの首など安いものだと述べ、自害を決意する。
    戦の終わりが近づいていた。別れの宴を行った後、自らの城を取り囲む水の上へと小舟に乗って漕ぎ出した宗治。船上で舞を踊り、美しい辞世の句を詠むと、宗治は切腹した。秀吉は宗治の最後を見届けると、武士の鑑として宗治を称賛し、礼をつくして葬ったという。
    そして、信長の仇を討つべく、京都に向けて全軍を差し向ける。「中国大返し」の始まりである。









    今夜 NHK大河ドラマ 黒田官兵衛 見どころの 備中高松城水攻め です。

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