宿番号:309364
入湯御宿 温泉閣のお知らせ・ブログ
湯けむり考
更新 : 2014/6/27 15:46
湯けむり考」
別府の北部、地獄地帯の背後には水源涵養林ともいえる原生林に近い緑に覆われた山が広がっている。地域の人々や地獄を経営する代々の経営者が、温泉の大切な源として守っているからである。 最近特に、東日本大地震での原子力発電所の被災以後、自然エネルギーの開発が注目され、火山國である日本全国で地熱開発が叫ばれている。特に地熱(温泉)の豊富な別府では、国の施策や助成での地熱発電がかなり広い地域にわたって行われている。
地熱開発の中で今までに活用されていなかった部分を、有効に発電として活かすバイナリ発電などは大いに振興されるべきなのであろうが、温泉が売り物の別府の中で方法を誤ると、長い期間大切に守られて来た唯一最大の資源を、今の時代に枯渇させることにならなければよいがと危惧している。
私の住む鉄輪は、温泉の開発では特別保護地域として(昭和48年指定)最も厳しく規制されているが、現実には法が制定された時と現在の温泉の開発技術の著しい進歩との間には、ギャップが感じられる。過去からの温泉孔の多さについても、問題提起されなければならない。
今年72歳になる私の10歳のころの記憶では、雨上りの水溜りが自然に高温の温泉になり、それにはまって大火傷をした人がいた。また棒で地中を刺すと、蒸気が噴き出してきた。今、鉄輪の名物である地獄釜についても、戦後間もないころは地獄釜や湯沸し釜を造るのに、地表から2〜3メートル位の穴を掘り、中にグリ石を詰めて土管煙突を立て、その上に地獄釜や湯沸し釜が作られていた。
戦後昭和23年温泉法の施行では、当時温泉権として届出ることで、鉱泉地としての鉱泉権がそれらにも確立された
当時、直ぐ裏に流れる川には、魚や川エビがいた。八川の流れの所々にあつた渕(水溜まり)は、今のように熱水ではなく、清流で子供たちの水遊びの場ともなっていた。
別府市内の文献をひもとくと、現在の鉄輪蒸し湯は、別府を代表する施設になっているが、市内各所にもあったことが記されている。特に古い別府の名湯であつた浜脇や、以前には市内での温泉の変遷が、鉄輪の未来の鏡として映らなければよいがと案じられてならない。
別府の象徴である湯煙り文化を誤り無く、次世代に引き継いでいかなければならない責任が今の私たちにはあるのではないだろうか。
関連する周辺観光情報