宿番号:310837
歴史生きづく宿 環翠楼のお知らせ・ブログ
6月16日は「和菓子の日」
更新 : 2018/6/15 12:08
こんにちは♪広報隊長コロ助です。
今日は和菓子の日(*^^*)
和菓子と言えば環翆楼では
お付き菓子でお馴染みの「ちもと」さんで決定(*^^*)
ですが、なぜ今日が和菓子の日なのでしょう。
古い話になりますが、
遡ること約1170年前の平安時代
(848年/承和15年・嘉祥元年)。
仁明(にんみょう)天皇が
「6月16日に“16”にちなんだ菓子などを神前に供えるように」
という神のお告げに従ったことが
「和菓子の日」のそもそものはじまり。
といわれています。
そして、仁明天皇はこのお告げをきっかけに、
「めでたい」という意味がある
「嘉祥(かしょう)」に元号をあらためたそう。
神のお告げによって元号があらたまる……
なんて現代では考えられないことですが
平安時代の時代性がうかがえる
エピソードでもありますね。
鎌倉時代になると、
時の天皇が6月16日に16枚の通貨と同価値の菓子を
神前に供えるようになりました。
さらに、室町時代には6月16日が「嘉祥の日」となり
天皇にお祝いの菓子を献上していたと
『御湯殿上日記』に記されています。
安土桃山時代には豊臣秀吉が
「嘉祥の祝」を行っていましたし
江戸時代には6月16日に大名や旗本を
江戸城の大広間に集めて、
時の将軍から菓子が配られました。
その際に用意された菓子は約2万個!にものぼり、
儀式は「嘉祥頂戴」と呼ばれました。
庶民にも嘉祥の習わしは広まり
十六文(もしくは米一升六合)で
買った菓子を食べていたのだとか。
さらに、6月16日の夜に、
16歳の子の振袖をおとして詰め袖にする
「嘉祥縫」という風習もありました。
他にも、6月16日に収穫した梅で作った梅干しを
「嘉祥の梅」と呼び、旅立ちの日に食べることで
旅の無事を祈ってもいました。
平安時代に始まった「嘉祥の日」の習わしは、
災難を逃れ、健康を招く恒例行事として
明治時代まで続きます。
その後、昭和54(1979)年に一度忘れられた
「嘉祥の日」を復活させるべく
全国和菓子協会が6月16日を
「和菓子の日」としたそうです。
関連する周辺観光情報
関連する宿泊プラン