宿番号:311615
東五郎の湯 高東旅館のお知らせ・ブログ
歩いて..何処へ...
更新 : 2017/3/8 1:47
歩いていると、普段はじっくり見ることのできない光景や自然の移ろいを、思いのままいつまでも立ち尽くしながら楽しむことができる
これは、車では出来ないことだ
偶に車を止めてそんなことをすることもあるにはあるが、車から外に出て対象に向き合うことに対し、歩いて出会った驚き、喜びは、出会ってから心に入り浸透する舞台が同一であるせいか、親しみがより深くなり、違和感がない
上手く言えないが、車の場合、まず、ハンドルを握りながら発見する驚きがあり、外に出て心に浸みこむまでの微妙な時間のずれが対象の変化に誤魔化されるようで、信用ならないことがある
だから、歩いて出会い、出会って感じ、そのまま静かに浸み込むことの方が、
おんなじものでも、心に辿り着いてからの腑の落ち方が一段と心地よい
美味しい酒が、きゅっと胃の腑に浸みるようにだ
そんなことは人それぞれでよいのだが、あくまでも私なりの流儀という事である
でも、偶には悲しいこともある
このところ多く目にする廃屋だ
殊に、山間の集落のちょっと離れた場所で随分と目につく
立ち入ることは、しない..怖い
近くまで、寄ることも無い..これも、チョットと怖い
道路に立ち尽くしたまま眺めていると、朽ち果てたドアの新しいときのことが、割れた窓ガラスがまだピカピカだった時のこと、畜舎と思しきところに大事に飼っていた牛や馬が元気な鳴き声を上げていた時のこと、叢と化した庭で遊ぶ幼い子供の笑い声が五月蝿いくらいだった時のことなどが目に浮かんで、忍びない
そのような暮らしもあっただろうに、どうして此処から出で行ってしまったのか
どのような人が、どのようなことで、出て行ってしまったのか
決意したものが居て、それに従い出たものか
反するものは、どのようにしたのか
立ち尽くしながら、私の頭はフル回転する
そして、妙に悲しくなって、歩き立ち去る
出た人も、歩いて出て行ったのに違いない
歩くって、なんだろう
私も歩いてこの場を立ち去るのだが、歩くって...
歩く決意..廃屋の悲しさの素.....