宿番号:311615
身の置きどころ
更新 : 2020/6/17 1:10
テレビ報道の在り方が、近ごろ妙に神経を逆撫でする
スタジオには、司会者と数人の発言者
いつもより距離をとってテーブルに着き、間のスペースには中継画像で別の発言者が枠の中に納まるという体
その画像が、スタジオ出演者と違い粒子が荒く、発する言葉と画像の間に多少の時間的ずれもあり、間に合わせの機材による中継のように思えてしまう
このようなやり方がこれからの主流になってしまうのだろうか
内容も毎日同じで、スイッチオフの日が心なしか増えた
また、一つの画面を区分けして、数人で話し合うやり取りも多く見られるようになった
討論ならまだしも、私が見たのは飲み会の中継だった
夜の店に行けないからだという
誰かと一緒に賑やかな処じゃないと飲めないという人も多いのだろうが、
こんな時ぐらい、一人酒に酔いしれることがあっても良いのではないか
当人は楽しいのだろうが、観ている私は酔いきれなかった
道具の進歩によって電波の上での楽しみ方が随分と増えたが、
楽しんだ分だけ、物事の本質から離れて行っているように思えてならない
なにかしら、新しいことをしなければ存在そのものが脅かされるという強迫観念さえ伝わってくるのは、私だけだろうか
顔を覆う、溶接技師が予防に用いるシールドを取り付けて、上げ下げしながらワインを飲んでいる艶やかな女性の映像もあった
幾ら美味しくても、どんなに艶やかな方が相手でも、私は其処には居ないだろうなぁと思った
全てが、今の状況への必死の打開策だとは思うが、
落ち込んだ生活を取り戻すための経済的手段にしては、
余りにもいじましく、切ない.....