宿番号:311615
身の置きどころ 2
更新 : 2020/6/18 2:39
そして、わたしは考える
時代がどう変わろうと変えてはならないものがある
今、その思いは一段と強くなったようだ
少し前の時代、皆が露天風呂に目が行っても、わたしの目は何時もと同じだった
カラオケも、団体送迎も、老人クラブの宴会も、他所の頑張りを見ているだけだった
多少、色目を使ったことも在りはしたが、さほど深入りしなくて済んだ
思えば、時代の流れと私の間に、妙なすきまが常にあった
そしてそれが違和感となり、私なりの自制になったのかもしれない
世の流れが、今まで信奉していたものから時代の表層を漂う流行り廃れにあっという間にその席を譲り、
皆が経済の主流にしがみ付くような在り方を見て、それが自己実現の全てかと思っていた
そして、わたしは、そのようなことは出来なかった
今以って出来ず、これからするつもりもない
置き去りにしたものの中にこそ文化があり、
わたしたちの暮らしはそれによって支えられ、
それを私たちは地域の本質といっていたはずだ
嘗て、こんなことを耳にした
“現在の日本に於いて、観光に関しては国内需要をこれ以上喚起できないので、目を海外に転じる”
国内ではもはややり尽くした感があるというようなことを言う人が居た
どのような社会状況でも、常に目を先に向けては“今”を語る人が居るが、
これまで自分の身を置いた時間と空間に、どのような「けり」を付けてきたのだろうか
自分で着けた「けり」を示すことなく、世の主流にしがみ付くような人はごまんといる
何かが
おかしい
なんか
へん
この私もおかしいのかもしれないが、
今までのことを忘れて新しいものに縋ることを、私は良しとしない
新しいものに縋るより、今まで地域を育んでくれた消えつつあるものの復元に励むことの方が、
より大事なことに思えてならないのだ
そして、とてつもなくむつかしい
私の中に、「けり」を付けることなく残ったもの
ひとびとの暮らしに裏打ちされた、社会的存在意義の再構築
遠い道のりは、覚悟の上
湯治文化再構築.....