宿番号:311615
東五郎の湯 高東旅館のお知らせ・ブログ
矛盾を正当化するとは...
更新 : 2020/8/7 3:45
「経済の回復を語る政治家の言葉も私に響くが、
電話の主のやるせない響きの方が、私にはずしりと重い
人が人であったような地域の暮らしは、何処かに消えたわけではないだろうが、
私の周りに、捜すのが難しい.....」
数日前に記した言葉です
暮らしの中の歪みとも言えるものですが、
思うに、権威ある地位に立つ人が“矛盾を正当化する”とき、
庶民の背負った社会的傷が大きくなって、どんよりと淀んだ暮らしが待ち受けるようです
矛盾を正当化するとは、それを語る本人の自己否定に他なりません
物事の本質を語るとき、地位ある処で導く人は矛盾に勇気をもって立ち向かい、
「暮らしの形」そのあるべき姿を言葉にしなくてはなりません
その言葉の確立とつぶし合いの歴史が、地域性という形になるのです
矛と盾
相容れないものを一つテーブルに並べ、互いを認めようとする歪な社会
会津には、こんな言葉があります
「なぬは ならぬ」
今は、個人で言うしかありません
「ならなくても なるようにする」...
そんな今の社会の情勢を、私は拒否します
話は変わりますが、
遅い夏が来て、田んぼの稲穂が、ようやく顔を出しました
“出干し 花みず”という言葉があります
今はもう居ない父から教わりました
「田んぼに水は大事な栄養だ 穂が出るときは水を抜いて 花が咲く時、一気に水を呉れてやれ」
ところが、農業用水の取水口に砂がたまりすぎて思いのほか流れが悪く、私の田んぼに水か来ない
そこで、胸まで水に浸かりながら砂をあげて、土嚢袋で水の誘導をしました
冷たい沢水が、実に清々しく感じられ、
子供の頃を思い出しながら水と遊んだ今日という一日
何処を探しても、矛盾の見つからない一日でした
事を起こすには、起こすなりの訳があるのですね.....