コロナ禍の真っ最中で少々運動不足の折に、其の昔日本列島の東西を結ぶ重要な山岳街道であった「鎌倉街道」の探索に同行することになった。
越中から飛騨山脈奥飛騨を越えて信州へ抜ける古道「鎌倉街道」の探訪の歴史は古く、多くの歴史家の研究テーマであり地元史学研究者も日々山行きしルート探索に没頭しています。
飛騨山脈越えの難所安房峠付近には「篠原無然」先生の碑もあって山行の安全を祈り乗鞍嶽十石へと向かった。
篠原無然先生受難の碑
大正12年冬、平湯温泉を眼下にこの場所で遭難した
クマ鈴を鳴らし背丈以上の笹を刈り分けながらルート探索