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松島温泉 小松館好風亭のお知らせ・ブログ
五大堂について
更新 : 2008/7/30 13:57
今回は、松島のシンボル・五大堂を紹介
場所はJR松島海岸駅から徒歩10分程度、ホテルへはそこから徒歩15分ほどです、松島循環バスをご利用するのもいいかも
五大堂は807年、坂上田村麻呂が毘沙門堂を建立したのが最初。
後に、慈覚大師円仁が円福禅寺(瑞巌寺の前身)を開いた際、五大明王像を安置したことから、五大堂と呼ばれています。
五大明王とは「大聖不動明王」「東方降三世」「西方大威徳」「南方軍荼利」「北方金剛夜叉」
現在の建物は、 伊達政宗公が1604年に再建したもので、桃山式建築手法の粋(木鼻・蟇股など)をつくして完工したものです。
五大堂の四方(一面に3個)には十二支が彫られていて、太陽の方向と同期してその時点の時刻を表してます。
伝説では、 慈覚大師円仁が五大明王を安置したところ、坂上田村麻呂が祀った毘沙門天は光を発して沖合いの小島に飛び去り、 その島は毘沙門島と言い伝えられています。【毘沙門島の近くには恵比寿島、大黒島、布袋島があり、遊覧船で見ることが出来ます】
五大堂のある五大堂島とは橋で繋がっています、朱塗りの三橋の中の”透かし橋”ですが、五大堂に渡るにはなんと別な意味での朱塗りの三橋を渡ります。【福浦橋・渡月橋】
最初に赤い普通の橋を渡ると売店があり、その先の朱塗りの透かし橋一号を渡ると八幡神社(小さな社です)があり、次の朱塗りの透かし橋二号を渡って五大堂にたどり着きます。【一号、二号という呼び名はありませんが】
橋は透かし橋(その名の通り隙間があり下が垣間見えます)のため車椅子で渡ることは困難ですから,ご注意下さいませ。
『すかしばし』
透橋は橋桁の間が空いており、上から下の波が透かして見えるので透橋といいます。これは、昔は松の丸太だけ(五大堂のある島は藩政時代女人禁制)の橋でとても不便であったために、板を使用して作られたといわれています。
本尊の五大明王像は33年に1回開扉の秘仏で、21世紀に入ってからでは2006年(平成18年)8月18日〜20日の3日間、「三聖堂、五太堂、日吉山王神社 三十三年御開帳」が開催された・・・次回は2039年の予定だそうです。
【堂の名は通常は「五大堂」と表記するが、前回の御開帳のときも「五太堂」という表記であった。五大堂の正面に掲げられている額に「五太堂」とあるが、筆の遊びで「大」が「太」になったとい