宿番号:313921
延命館のお知らせ・ブログ
”朝闇神社と橘広庭宮跡”
更新 : 2018/12/17 13:17
師走も半ばが過ぎて何かと気ぜわしい時期になりました。
さて、原鶴温泉から北西へ車で15分ほどの須川地区に小規模な朝闇神社(祭神は高皇産霊尊)が祀られ、ここから朝倉という地名が付けられたと考えられています。
その東側の丘に朝倉橘広庭宮跡の巨大な石碑が立ち、周辺は橘広庭公園で市民の憩いの場所になり静かで快適な空間を提供している様子です。
『筑前國續風土記』には「齊明天皇六年、新羅より百濟を責めくつがへしける故、日本より救ひに兵をつかはさんため、翌七年天皇みづから筑紫に下り、此所に行宮をたてゝすみたまふ。けづらざる黒木にて、屋作りさせ給いし故に、木の丸殿とも云。其かり宮のあと、須川村の圃の中にあり。村人も齋明天皇行宮の跡と云。其南の方廣原の地にて、廣庭ともいひつべき所なり」と記されています。
ただ、橘広庭宮の発掘調査(昭和8.9年と昭和48〜50年)では宮跡と特定できる遺構は検出されず長安寺の寺院跡といわれ、朝闇神社に隣接して猿沢の池があり、この池はいにしえから満々と水を湛え枯れたことがなく、干ばつの時はここで雨乞いなされ、昔は池底が深く吊り鐘が沈められた伝絶も残っているので奈良時代の長安寺と関係があるようです。