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延命館のお知らせ・ブログ
”朝倉の関と関守の立石”
更新 : 2018/12/18 15:36
今日は幾分寒さが和らいだようです。
2週間前に「隠家森」をテーマとしたブログで、斉明天皇が百済救援のため朝倉橘広庭宮に住まわれたとき、宮殿を守るため「朝倉の関」を設けられたとありましたが、恵蘇八幡宮の南側、国道386号線を隔てたところにポツンと石碑が立っています。(史跡として見るべきものは何もないから意外ですが、関所の立地条件は北に麻底良の山々、南は筑後川とこの場所が唯一通行可能なため、大変合理的と云えます)
また、「木の丸殿」へ上がる右側、筑後川を見渡す位置に町指定史跡「関守の墓」があります。この墓は朝倉の関の関守を埋葬したものと、斉明天皇崩御の時に殉死した人達の墓ともいわれ、地上高1〜2mもある大きな竿石を立石にした特異な墓と銘鈑には記されています。ただ、斉明天皇御陵内に祀られるには宮中の位階が高くないと厳しいでしょう。
遥か昔、斉明天皇に随行して飛鳥(奈良県明日香村)から九州へ下り、その地で果てざるを得なかった古人の、いまわの際に去来したものとは何か、思い巡らすと儚いものです。
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