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延命館のお知らせ・ブログ
”木の丸殿跡”
更新 : 2018/12/26 15:43
昨日は好天に恵まれたクリスマスで素敵な1日を過ごされたことでしょう。
さて、先週から「朝倉橘広庭宮」をブログの対象としましたが、最も重要な位置関係にある恵蘇八幡宮は原鶴温泉の東隣りです。
『筑前國續風土記』には「山田村にあり。社家の説に云傳ふるは、齋明天皇異國に軍勢を遣したまふ時、祈願の為に 八幡大神を此地に勧請し給ふ。白鳳年中に、齋明天皇と天智天皇を合わせ祭りて三座とす。第一応神天皇、第二齊明天皇、第三天智天皇、御社は道の側なる小高きところにありて、南に向へり。上座郡中の惣社なり」と記されています。
なお、「木の丸殿」跡は社殿付近と伝えられ、石段の右側に「朝倉木丸殿奮蹟」と刻まれた大きな石碑があります。
『筑前國續風土記』に須川村のかり宮を木の丸殿とも云う旨の記述が見られますけど、現在は斉明天皇崩御のとき御陵山の山腹(八幡宮境内)に築いた殯宮(苫を葺いた板敷のあばら屋)が「木の丸殿」「黒木の御所」と呼ばれています。
ところで、斉明天皇はなぜ朝倉のような奥まった地点を大本営としたのか大きな謎です。