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延命館のお知らせ・ブログ
”夏目漱石の句碑”
更新 : 2019/2/5 11:38
夏目漱石といえば明治から大正にかけての文豪で、『吾輩は猫である』、『坊ちゃん』、『三四郎』ほか多くの文学作品を残しています。
東京帝国大学英文科卒業後は松山中学(愛媛)や第五高等学校(熊本)の英語教師を務めたのち、文部省留学生としてイギリスへ留学、帰国後は母校東京帝大の講師となり、その頃「ホトトギス}」に発表した『吾輩は猫である』が好評で、東京朝日新聞社へ専属作家としてむかえられました。
以後は皆様ご存知の通りです。
漱石は明治を代表する俳人正岡子規の親友であり、その関係で俳句に親しみ、生涯で2527句を作り『漱石俳句集』や『漱石詩集 印譜附』といった俳句集も出版しています。広く知られている句は「菫程小さき人に生まれたし」、「木瓜咲くや漱石拙を守るべく」、そして「鐘つけば銀杏散るなり建長寺」は子規の有名な「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」に影響を与えたと云われています。
それはともかくとして、漱石は第五高等学校時代の明治32年1月6日に日田から筑後川を下り千年(原鶴温泉の対岸)の渡し場を経て吉井へ着き札の辻本町あたりへ泊った由です。
うきは市吉井公民館前に漱石句碑「なつかしむ衾に聞くや馬の鈴」が立っているのは、その宿屋で馬の絵の掛け布団を見て詠んだ句と伝わっています。