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延命館のお知らせ・ブログ
”高浜虚子の句碑”
更新 : 2019/2/12 12:17
俳人として高名な正岡子規は、旧制松山中学と共立学校で秋山真之と同級、東大予備門では夏目漱石と同窓だった経緯があり、司馬遼太郎のライフワーク『坂の上の雲』を読めば、文明開会以後の日本が日露戦争に勝利し欧米列強に比肩する大国へと発展してゆく過程を背景に、明治時代の青春群像がドキュメンタリータッチで鮮やかに描写されています。
その、正岡子規門下には伊予尋常中学校の頃から兄事した二人の人物、河東碧梧桐と高浜虚子がいて、若宮八幡神社の境内にはホトトギス派の中心人物であった虚子の大きな句碑があります。
「粧える筑紫野を見に杖ひかん」、建立は昭和49年8月で、個人名(2組の夫婦)と協賛は耳納ほととぎす会・やまたろ俳句会の文字が彫られていました。寄進者は俳句に親しむホトトギス派の流れをくむ方でしょう。
ところで、虚子は昭和21年11月17日に『ホトトギス』六百号記念福岡俳句会へ列席したのち朝倉市甘木へ宿泊、翌日に父曾遊のゆかりの地である秋月を訪れ「濃紅葉に涙せき来る如何にせん」など幾つか句を残しています。(12年後に甘木、秋月の句碑除幕式が行われ虚子も列席しました)
また、昭和30年5月14日から九州へ旅立ち5月22日は原鶴温泉へ宿泊、翌日、板付空港から伊丹空港へ航空便を利用して帰路に着いたそうです。