宿番号:313921
延命館のお知らせ・ブログ
”八幡宮の月岡古墳その2”
更新 : 2019/3/27 13:25
昨日からまた気温が20℃以上と暖かくなり、桜が満開のときを迎える今日この頃は何かしら心が浮き立つ思いがしますね。
ところで月岡古墳ですが、墳形・石棺・副葬品の内容は機内的な色彩が強く、月岡古墳へ葬られた人物は大和朝廷と密接な関係が考えられ、浮羽郡の旧名は生葉郡だから的臣(いくはのおみ)との関連を指摘する説もあるそうです。
的臣は『日本書紀』孝元天皇7年の条に武内宿禰の子の葛城長江碑曾比古が先祖と記され、蘇我氏と同族で大和朝廷の有力豪族、欽明天皇5年の任那日本府の官人、浮羽地方の豪族で筑紫磐井の乱のとき大和王権側についた、田主丸大塚古墳の被葬者とも云われるけど定かではありません。
後円部には石室の天井石を礎石として文化3年に建築された祠があり、内部は長持形石棺が納められ、事前に資料館へ申し込みすれば見学可能ということです。その東隣りは1月30日のブログテーマであった松尾芭蕉の大きな句碑が立っています。
神社境内の視点と異なり、北側道路沿いから望めばオーソドックスな前方後円墳であることがはっきり認識できます。