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延命館のお知らせ・ブログ
”吉井町の河童”
更新 : 2019/4/16 14:48
今月の8日から河童(日本の妖怪・伝説上の動物・別名は河太郎)をテーマにしています。
河童は筑後川水系に数多くの逸話が伝承される身近な存在で、とくに巨瀬川流域は九千坊率いる河童一族が棲むと云われ、寛文4年(1664年)に開削された歴史を持ち、ユニークな鯉のぼりが宙に舞い泳ぐ南新川の水辺には何といまでも河童の姿を見ることができます、その吉井小学校前の石河童は本を読み耽りあるいは鯰と戯れ、また、のんびりと甲羅干しを楽しみながら遊歩道で散策する人々に愛嬌をふりまいています。
さて『九州の河童』によると、河童の先祖は遥か昔、タクラマカン砂漠(中央アジア)を流れるヤルカンド川の源流に棲んでいましたが、寒さと食糧不足のため二手に分かれ新天地をもとめて大移動を開始、首長である貘斉坊に率いられた一族はハンガリー(中央ヨーロッパ)の首都ブタペストに到着後この地に棲息しました。
なお、筑後川河童の総大将になる九千坊に率いられた一族は何故か日本をめざし黄河を下り黄海へ出て泳ぎ着いたところが九州の八代の浜で、球磨川を安住の地と定めたそうです。
何とも気宇壮大な河童ストーリーですが、この話は約1700年前、仁徳天皇の時代であり九千坊一族が筑後川へ移住するまでかなりの年月を要します。それにしても河童は不老不死でしょうか。