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金森長近(かなもり ながちか)
更新 : 2012/2/16 11:17
今回は高山の歴史を語る上で欠かせない人物、飛騨高山藩初代藩主 金森長近(1524-1608)を紹介したいと思います。
長近は戦国時代から江戸時代初期にかけて、織田氏・豊臣氏・徳川氏に仕えた戦国大名です。
1524年生まれとされておりますが、生誕地に諸説あり、美濃国(岐阜県)土岐郡多治見郷大畑と近江国(滋賀県)野洲郡金森と書物によって異なります。
大畑定近の次男、大畑氏は美濃源氏土岐氏の支流と言われ、元々は美濃国に所領がありましたが、土岐氏の後継者争いに敗れ失脚、近江国へ移住し、金森姓を名乗ったとされ、この移住するあたりで生まれたのではないかと思われます。
幼名は五郎八(ごろはち)、初名は可近(ありちか)
後に織田信長に仕え合戦に功を立て、「長」の字を一字賜り「長近」と改名しました。(織田信長は長近より10歳年少)
1575年長篠の合戦などに勲功があり、越前国(福井県)大野3万石を拝領、柴田勝家の与力大名となります。
本能寺の変後、柴田勝家と羽柴秀吉が対立、長近は柴田側に属しましたが、賤ヶ岳の合戦で敗れると剃髪して秀吉に降伏、家臣となりました。
1985年越中(富山県)征伐に際して、飛騨国平定に功があり、秀吉から飛騨一国を与えられます。
秀吉没後、1600年関ヶ原の合戦では東軍(徳川側)に属し、徳川家康から初代高山藩3万8千石の藩主(恩賞により他国に約2万石あり)を命じられました。
長近は茶の湯の才にも秀でており、これも書物により異なりますが、利休十哲(七哲の場合もあり)にも選ばれております。
歴史ドラマでもあまり登場せず、地味な存在かもしれませんが、その当時の主要人物とも大いに関わり、己の才覚でのし上がった戦国大名です。
大河ドラマの主人公になったら、おもしろいかもしれませんね!
1608年に長近は没しましたが、その後金森氏は、1692年6代頼時(時の字は当て字)の時代に出羽国(山形県)に転封となります。(原因も諸説あり。)
飛騨高山は天領(幕府直轄領)となり、高山城は破却されましたが、長近が開いた城下町の面影は、今も高山市内のあちこちに残っており、高山城址「城山公園」に金森長近の銅像もございます。
戦国から江戸時代の情緒あふれる高山にぜひお越しください。