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ゆばらの宿 米屋のお知らせ・ブログ
湯原温泉の歴史(昭和40年代)
更新 : 2016/1/16 20:07
昭和40年頃になると、一般の客室にバス・トイレ付きが現れますが、
旅行形態は団体旅行がメイン。
バス・トイレ付きの部屋は特室など贅沢なお部屋だけに限られていました。
その代わり、家族風呂が作られカップルやお子様づれに好評でした。
昭和47年オイルショックまでに、総宿泊収容人数は3千名になりました。
旅館数は28軒に増え、増築も盛んに行われました。
30年から40年代の20年間は夢のような時代で、狭い温泉街の中にストリップ小屋が12軒、
スナックが20軒といった様相でした。
この時期は芸者の登録数が120名を超え、
夕刻になれば旅館のお座敷に向かう芸者衆の艶姿が温泉街の風情を盛り上げたそうです。
「一坪の土地が温泉街にあれば、一家四人が暮らしていける」と言われたそうです。
さらに、昭和47年には山陽新幹線の新大阪ー岡山間、中国自動車道・落合インターが開通し、
湯原温泉への入客者数はピークを迎えました。
つづく
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