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ゆばらの宿 米屋のお知らせ・ブログ
湯原温泉の歴史(昭和50年代)
更新 : 2016/1/16 19:46
昭和51年まで観光ブームは続き、
旅館のみならず観光関連の事業者は戦後からここまで登りいっぺん調子できました。
昭和55年に旅行作家の野口冬人先生が発表された露天風呂番付で
湯原温泉の砂吹き湯(砂湯)が西の横砂に評価していただいました。
雄大な景色と泉質、そして何より地域住民が管理し守り続けていることが評価されたのです。
昭和56年7月13日、湯原街で突然の集中豪雨。
真賀温泉の国道313号線が増水のために一部決壊、
2次災害の恐れありということで道路は全面通行止め。
被害は湯原街全域にわたり、死者2名がでる未曾有の天災でした。
温泉街も大元の貯湯タンクなど配当設備の被害で約1ヶ月間、
ほとんど営業できないという状態でした。
当時はほとんど風評被害について言われませんでしたが、
大きく「湯原温泉被害甚大」と連日報道されました。
これでは本当に湯原温泉がダメになってしまう、
と9月に一ヶ月遅れの「はんざき祭り」を行い、湯原温泉の復旧宣言をしました。
昭和58年、日教組大会が開催、その様子が連日テレビや新聞で全国に報道され、
街宣車のあまりの騒音に岡山県で「騒音防止条例」が制定されました。
この間、大勢の人々でごったかえした旅館はどこも満室で湯原温泉の知名度は、
連日の報道でいやが上にも高まりました。
しかし、昭和59年、60年と宿泊者数はさらに低下していきます。
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