宿番号:326039
湯村温泉 ゆけむりの宿 朝野家のお知らせ・ブログ
/// 857年ぶりに親戚がお越しになられました ///
更新 : 2012/8/19 15:40
最近、関東からのお客様も増えているのですが、昨日は特別なお客様がお泊りでした。
奈良様です。
奈良家は現在の熊谷市に居を構え成田氏の祖である助高の子三郎高長が奈良氏を称して、長男太郎助広が成田氏を継承し、次郎行隆が別府氏を、四郎助実が玉井氏を称したとされ、保元物語では鎮西八郎為朝との戦いである白河夜討の条に源義朝の従兵としてこの三人の名が登場します。
朝野家(あさのけ)は鎌倉時代、文治元年(1155年)温泉城の初代城主と伝えられる奈良九郎太郎源宗光の後裔で、「天正9年6月19日羽柴軍の覇行で城落、歌長村へ蟄居して民間にあり」と温泉町郷土読本にあります。
また、温泉町史にも「これより先将監は落城のまぬがれ難きを知り十四日の夜奥方若君女中を歌長に落したので、その子孫朝野氏を名乗り今日に及んでいるという」朝野家文章も「右近将監ノ難立世ヲ憚リ姓ヲ替へ奈良ヲ朝野ト改姓シケル之レヨリ土民トナリ朝野五郎左衛門孟重ト改ム」とあり、奈良姓から朝野姓に、武士から農業をするにいたったのです。
奈良家(三郎)と朝野家(九郎)は兄弟で857年前から親戚なんです。
857年ぶりのご対面です。
奈良様は朝野家(あさのけ)の事も良く調べておられ、菩提樹のある寺は善住寺で、場所は熊谷(くまだに)は奈良家の本拠地の熊谷(くまがや)に因んだものだと話されました。なるほど読み方は違うだけです。
朝野家(あさのや)がお城の形をしているわけは、こんなところにあったんです。1155年に関東熊谷から湯村の地に移って源氏の朝野家(あさのけ)は、今36代目になっています。
わざわざ朝野家(あさのや)を目指して、お越しいただいた奈良様が盆にお越しいただいたのは、なにか先祖の引きあわせの様な気がします。
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