宿・ホテル予約 > 兵庫県 > 香住・浜坂・湯村 > 香住 > 香住 源六(げんろく)のブログ詳細

宿番号:326883

料理のクチコミ評価の高い宿。目の前は山陰ジオ海岸、松葉ガニ料理

佐津温泉
和田山インターから80分、八鹿より178号線、香住道路に入らず海の方へ直進、JR佐津駅より徒歩9分

香住 源六(げんろく)のお知らせ・ブログ

宿泊施設ブログ

  • ドラマ「八重の桜」で明らかになる川崎尚之助の生涯☆

    更新 : 2013/1/16 23:38

    2013年のNHK大河ドラマ「八重の桜」で、八重の初婚の相手、川崎尚之助(しょうのすけ)の生涯が初めて明らかになります。会津藩と八重のために激しく、一途に生きた男として。

    明治の大火で、川崎家の本家はは出石から香美町香住区に移られ、私たちが良く知っている川崎家がその後を継いでおられたのです。尚之助がクローズアップされるにつけ、出石藩を抱える豊岡市ともども香住もそのボルテージを上げています。

    早々と香住鶴が「尚之助」というお酒を出していたのですが、その時は尚之助がそこまで幕末に活躍していた人だとは思いもしていませんでした。「八重の桜」の初回から、佐久間象山の塾に居て、八重の兄・山本覚馬とつながりを持つように画かれていました。但馬の出石藩出身で蘭学や西洋砲術に詳しいことが紹介されていました。

    やがて八重の初めの夫となるのですが、戊辰戦争を機に離れ離れになります。彼は会津と八重のために青森の斗南藩で再起をかけるのですが、仲間に裏切られたり、商売のトラブルに巻き込まれて、無念な最期を迎えてしまいます。

    尚之助の死を知った山本覚馬の勧めで、彼のことを何も知らされていなかった八重はその後、新島襄と再婚します。八重は幕末に薩摩藩に捕らえられていた兄の居る京都に家族で身を寄せていました。尚之助は戦争から逃げたのではなく、会津藩の人たちと追い詰められて荒れた北の国に移住し、皆のために奔走していたのです。

    歴史の闇からよみがえった男・川崎尚之助の本は「あさくら ゆう」著、知道出版から出ています。

宿泊のご予約はこちらから

料金・宿泊プラン一覧

お電話でご予約される場合は、宿泊プランをお選びください。