宿番号:328362
源泉掛け流し 四季彩々の隠れ宿 富士乃湯のお知らせ・ブログ
馬場信春(馬場美濃守)よりの感状
更新 : 2011/1/3 20:56
二木家(富士乃湯 当主)に代々伝わる宝物。
武田四名臣の一人である、馬場信春(馬場美濃守)より二木家への感状です。
歴女の皆様、歴史好きの皆様には有名な武将ですね。
時代は「天文」・・・1532年から1555年までの期間出来事です。
達筆すぎて内容は読めないのですが、大切な大切なお宝です。
館内に展示してありますので、是非ご覧下さいね。
馬場信春(馬場美濃守)とは・・・
信虎、信玄、勝頼の武田三代に仕えた譜代の重臣で、「武田の四名臣」の一人。
歴戦の戦さ巧者で、戦歴40年で一度の擦り傷さえ負わなかったと言われている。信玄時代は譜代家老衆筆頭として諸将はもとより家中一同、雑兵にいたるまで全幅の信頼を寄せられる名将であった。
信春は当初、教来石景政を名乗ったが、諏訪攻めの武功により名門.馬場家を継ぐこととなり、後に病死した”鬼美濃”こと原虎胤にあやかり美濃守を名乗った。
元亀4年、信玄公が逝去すると、山縣昌景とともに勝頼を補佐するも、文官派の勝頼側近と溝ができ次第に疎まれたと言われる。
長篠の戦では殿軍を指揮し、勝頼の退去を見届け、のち反転して追撃の織田.徳川連合軍と戦い最期を遂げた。敵方の信長公記にも「馬場美濃守の働き、比類なし」と評される見事な最期であったという。
1582年の武田氏滅亡時には、深志城(現在の松本城)の城代を努めていた。