宿番号:328696
城崎温泉 お宿 白山(はくさん)のお知らせ・ブログ
天空の満員電車^^;in 竹田城!!
更新 : 2012/10/19 23:55
皆様、面白い画像が朝来市和田山町の竹田の「町屋宿 はな亭」から
届きました!!
本間店長が今週の14日に登った朝6時の画像^^
何?普通の山城の画像じゃん。。??
と思わないで下さいね!
天守閣の石垣の上をご覧くださいませヽ(^。^)ノ
もう1段石垣ができた?
と思うほど、鈴なりの人垣です!!
早朝から雲海を見る為にこんな大混雑!
天守閣の上も一杯です^^;
この「竹田城」当館からお車か電車で60分の南に向かった
朝来(あさご)市和田山町竹田にございます。
現在、山下を流れる円山川からの川霧が登って、山の中腹を覆う為、
まるで空に石垣が浮かんでいる様に見える為、
別名「天空の城」ヽ(^。^)ノ
何度もブログでご紹介していますので、ご存知の方も多いでしょうが、
始めてご覧頂く方に一寸ご紹介^^
竹田城は、400年前に廃城となった、国指定史跡です。
最後のご城主は、赤松広秀公。赤松の名の通り、出身は、播州です。
豊臣秀吉の但馬進攻によって、前のご城主太田垣氏の後、
豊臣秀長(豊臣秀吉の弟)の管轄に竹田城はなり、
その後赤松広秀が城主に任命されます。
竹田城は、生野銀山の権益を守る為、又但馬と丹波の国境にある為、
但馬の守りの重要拠点となりました。
豊臣秀吉もしばらく滞在したようです。豊臣から徳川の時代になって、
廃城となって、美しい石垣のみが残る全国屈指の山城となっています。
375mの山の頂上にどうやってこんな大きな石垣が組めたのか?
赤松公の時代に、滋賀県の穴太衆(あのうしゅう)がやって来て、
石の声を聞きながら組むという「穴太積み」の工法で完成させました。
なぜか但馬には、石屋さんが道路沿いに多いのは、
穴太衆の何人かが住み着いたせいかもしれませんね。
竹田城の修復には、大林組があたったそうですが、400年も経つのに、
大がかりな補修が必要なかったようですよ^^
山頂からは、360度視界が開けて、縄張りも美しく
別名日本のマチュピチュ^^
お城が機能していた当時は、お城には、女性や子供がいて、
ご城主は毎日竹田の町の寺町の執務所まで通っておられたそうです。
麓の竹田の町は、敵の侵入を防ぐため、
クランク状に道が曲がりくねって作られています。
歴史と品のある城跡、ぜひ、一度訪れて下さいね^^
館主
関連する周辺観光情報