宿番号:332775
信州野沢温泉 野沢グランドホテル 〜絶景露天風呂の宿〜のお知らせ・ブログ
北信濃の「シルクロード」-目指した先は「野沢温泉」
更新 : 2010/8/15 0:30
「近代」と言われた明治から昭和初期にかけ、長野県では製糸業がとても
盛んで、各地に工場が作られました。
蚕から作られた生糸は、横浜などの港から船で海外へ運ばれ、当時の日本を
支える主要な輸出品目でした。
さて、当「野沢グランドホテル」を運営する長野電鉄の前身「河東(かとう)
鉄道」が誕生したのが、今からちょうど90年前。そして、88年前に
現在の路線の一部である「屋代・須坂間」が開通をしましたが、この路線は
その製糸業とも深い関係のありました。
(現在、「屋代・須坂間」は屋代線と呼ばれています。)
長野市のある長野盆地(「善光寺平」とも言います)を南から北へ流れる
日本一の大河、千曲川。その右岸にある須坂は当時、製糸業で栄えた街でした。
現在は「蔵の町・須坂」として知られ、街のあちこちに蔵が残されているのは、
その頃の隆盛の名残です。
その絹製品の輸送ルートとして、河東鉄道が使われました。須坂駅で製品が
積まれた貨車は、終点の屋代から当時繋がっていた国鉄線(現在は「しなの
鉄道」)に入り、港へ行きました。製品はそこで船に積み替えられ、海を
越えていきました。
そう思うと、今ある路線がまるでシルクロードのようで、はるか
海の先の欧米にまで続いていたかのようにも感じられるから、不思議ですね。
その後、河東鉄道は路線を北へ延ばし、生糸のみならず、特産のリンゴなど
沿線の様々なものを運びました。そして、戦後、当館のある野沢温泉まで
路線を延ばすという計画もありましたが、残念ながら、それは夢と
消えてしまいました。
現在、当館ではその屋代線の途中駅「松代駅」にクルマを止め、列車で旅する
方のためのフリー乗車券をセットにしたプランを発売中です。
沿線は歴史の宝庫で、ほかにもいろいろな発見があります。
そんなお話もこのブログで、また紹介できればと思います。