宿番号:337486
信州湯田中温泉 よろづやのお知らせ・ブログ
文化とは、「カタチ」ではなくて「精神」です。
更新 : 2010/5/14 8:39
これは桃山風呂の柱です。
建物がお寺の建築に似ているせいか、
お札(ふだ)がたくさん貼ってあります。
一方、日本人の心のふるさと、と言える場所のひとつに、
「伊勢神宮」があります。
何度訪れても心が洗われる、素晴らしい場所です。
ところが外国人の中には、こう言う人がいるのだそうです。
「これはいつ建てられたのですか? 20年前!?
それではあまり価値がありませんね」
伊勢神宮は昔の姿のまま20年おきに建て替える儀式を、
もう1300年以上続けてきていて…
といくら説明しても、その外国人には通じなかったと、
案内した人は嘆いていました。
文化って不思議ですよね。
多くの日本人が、
神社や御神事に使う道具は
「新しいほど良い」という感覚を持っているし、
一方、お寺や木魚などは、
「古色蒼然(こしょくそうぜん)としている方が、
ありがたみがある」と感じます。
だから京都などを旅していて、
「建築当時の姿」に復元されたお寺、
朱塗りの柱や極彩色(ごくさいしき)の彫刻などを見ると、
違和感を覚えることすらあります。
「本来の姿」なのにです。
そう考えると、「文化」というものの価値も、
相対的なものなのだなあと感じます。
所詮(しょせん)は「人が造ったもの」ですからね。
大切なのは「カタチ」ではなく、
そのカタチに込められた「精神」でしょう。
そして作り手と使い手がともに、
その「精神」を受け継いでゆかなければ、
「価値」は失われてゆく。
「器」はあれども「魂」がこもらずとなるのです。
わたくしがやたらとブログに
「花鳥風月」のことばかり書くのは、
鳥や花、森や川には、
「創造主」の輝きと喜びがあると思うから。
人間は逆立ちしても、
一羽の小鳥すら造ることはできません。
美しい北信の自然に触れる度に、
わたくしは「謙虚であること」の大切さを痛感します。
自然を愛し、自然の中に美を見出した
古(いにしえ)の人たちの気高い精神は、
「傲慢さ」を捨てなければ、
決して継承することはできないと思うからです。
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