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忠臣蔵と広島
更新 : 2020/12/15 9:12
皆様こんにちは。
旧暦と新暦の違いはありますが、318年前の12月14日深夜(15日未明)、江戸(東京)本所松坂町の吉良屋敷に、赤穂浪士47名が討ち入りを行い、屋敷の主人・吉良上野介を討ち果たすという事件が起こりました。 忠臣蔵として伝わる物語のクライマックスです。
事の起こりは討ち入りの一年半ほど前、徳川将軍家の居城・江戸城にて、赤穗浪士たちの主君・赤穗藩主浅野内匠頭長矩が吉良上野介に切りかかり、長矩は即日切腹。赤穗藩はお家取り潰しとなりました。切られた吉良は御咎めなしでしたが、当時喧嘩は両成敗。吉良だけ生き残る事に納得いかない元家老・大石内蔵助を含む47名が主君のかたき討ちをしたというお話し。
かつては年末に、必ずと言っていい程TVで流れていました。
しかし、仇討の舞台は東京。赤穂浪士の故郷赤穗は兵庫県。広島とどんな関りが?
その答えは、お殿様にあります。
赤穗藩のお殿様は浅野家。広島のお殿様も浅野家。
広島と赤穗の浅野家は親戚だったのです。
浅野家は豊臣秀吉の親戚筋。秀吉と共に出世をし、豊臣政権と徳川幕府下で大名に取り立てられ、1619年に42万石の大名として広島に入封します。その後、三次(広島県)と赤穗(兵庫県)にそれぞれ分家を立てて独立します。
その赤穗の分家の三代目が長矩になります。
広島駅北口を出て正面に、仏舎利塔が目印の二葉山があります。その麓には、古から残る神社仏閣が並んでおり、「二葉の里歴史の散歩道」として親しまれております。
その中の明星院には、赤穗浪士47名の木像が安置されております。 しかも木像は、討ち入りと同じ表門隊と裏門隊とに分かれて安置。更に凄いのは、75年前の被爆も耐え抜き、今に伝わります。
主君の敵討ちを果たした赤穂浪士は、徳川幕府により大石内蔵助以下全員切腹となりましたが、赤穂浪士の物語は「仮名手本忠臣蔵」として大ヒットします。
そんな折、大石内蔵助の息子大三郎が広島の浅野家に取り立てられ、母のりくと共に広島に移り住みます。広島でも赤穂浪士を供養したのです。
二葉の里歴史の散歩道には、大石内蔵助親子の供養塔がある聖光寺、菅原道真を祀った尾長天満宮、更には徳川幕府の絶対神・東照大権現こと徳川家康を祀った広島東照宮もあります。
全て広島駅の徒歩圏内で、気軽に参拝出来ます♪
ちょっとした歴史散歩に、是非足を運んでみて下さい。
明星院の本堂に入り、向かって右手に並ぶのが、大石内蔵助以下の表門隊の面々です。
仏像は明治になり作られたものですが、高さは80cmほどあり、現存する赤穂浪士の木像の中では最大級です。
こちらは左手に並ぶ、大石内蔵助の長男・主税以下の裏門隊です。
後年広島に移り住むことになる大石大三郎は、主税の弟になります。
有名な堀部安兵衛も、この中にいます。
こちらは大石内蔵助の木像です。
赤穗藩の家老としての生活が突然奪われて失業となりますが、苦難と困窮の中浪士たちをよく束ね、見事本懐を遂げます。
明星院は、広島駅北口を出て左手に進み、饒津(にぎつ)神社と鶴羽根神社の間にあります。
広島駅からは、徒歩約15分です。
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