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宿番号:344062

竹田城と古民家で梅雨の癒し旅☆但馬牛xお部屋温泉♪連泊割あり

北近畿自動車道和田山ICからR312を竹田方面車10分。JR播但線竹田駅徒歩1分。

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    時空を超えた石垣!本日TV朝日18:30〜竹田城を紹介♪

    更新 : 2013/10/6 11:24

    本日10月6日18:30〜「奇跡の地球物語」で

    「竹田城址」の石垣の秘密を科学的に解明^^



    詳細 こちら

    http://www.tv-asahi.co.jp/miracle-earth/trailer/cur/

    竹田城は、石垣だけの山城遺跡ですが、400年前の石垣が

    そのままに残る珍しい山城遺跡です。

    国指定史跡にも指定された美しい縄張りは、

    空から眺めると虎が寝ている様に見える為、別名「虎臥城」と呼ばれています。

    このお城の最後のご城主は、赤松広秀公。

    豊臣秀吉の弟の秀長の命を受け、

    但馬の入り口と生野銀山の守りを固めるため、「竹田城」を作りました。

    標高300mの山頂にどうやって、このような大きな石を積んだのか?

    疑問ですね〜。。

    又、美しい石組は、排水性のよい「穴太積み(あのうつみ)」と

    呼ばれる丸い石の面を合わせながら積んでいく、職人の勘と経験に頼る素晴らしい技術です。

    この石組を積むために滋賀県の「穴太衆(あのうしゅう)」という

    技術者集団が呼び寄せられ、また地元竹田の住民も作業に駆り出され、

    一緒に石垣やお城を作ったそうです。

    あまりに過酷な築城作業だった為、竹田の田んぼは手入れができず、

    松が生えたと言われています^^;

    その際の住民のまとめ役をしたのが、現在改装中の「竹田暮らしの交流館」

    の以前の持ち主「木村酒造」の祖先の庄屋さん。

    そんな官民一体となって作り上げた「竹田城」は、

    1600年の関ヶ原の戦いで城主赤松広秀は鳥取焼き打ちの罪を

    一人でかぶされ鳥取の真教寺で自刃。

    残された奥さんの千鶴さんと娘さん3人は、村岡に逃げ延びて

    その子孫は現在も但馬にお住まいです。

    竹田城は1600年に廃城になって、石垣だけが400年も時を経て、

    現在天空の城として急に注目を集めてるなんて、

    時空を超えたロマンですね〜^^

    妙に天守閣などをよくぞ再建せず、石垣のままに置いておいてくれた!

    と最初訪れた時に感謝しました!

    円山川の川霧と石垣が織りなす上品なお城の姿は、すでに

    人工物の範疇を超え風景の一部になっています。

    低い山なので気軽に登れるのに、登山者が襟を正す気品を持つ

    何度でも行きたい不思議なオーラを持つ場所です。

    秋の雲海の季節になりました。

    時空を超えた技術者集団や地元民の思いが残る「竹田城跡」に

    ぜひ!お越し下さいませ^^

    館主

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