宿番号:345537
サンスカイホテル小倉のお知らせ・ブログ
サンスカイホテル小倉界隈の歴史 その5
更新 : 2011/6/29 19:49
こんにちは!サンスカイホテル小倉のザキヤマです。
さて、今日はまたもやサンスカイホテル界隈の歴史シリーズを書きたいと思います。(歩兵14連隊-1)
今回は前回グランドクロスのことを書いたので、簡単ですけど小倉の郷土連隊である「歩兵第14連隊」のことを書いてみたいと思います。さすがに詳しいことまでは分からないので、ダイジェストみたいになっちゃいますけどね。
歩兵第14連隊の誕生はけっこう古く、明治8年に編成されています。まだ明治政府が誕生して間もない頃ですよね。最初の頃は熊本城に本部を持つ熊本鎮台の一部隊として編成され、編成翌年から、秋月の乱や萩の乱など不平士族の反乱鎮圧に出動していました。そして、翌明治10年には西南戦争が勃発しこの鎮圧に出動することになりました。
この期間は有名な乃木希典が連隊長を勤めており、秋月の乱では活躍したものの、萩の乱では本隊を小倉から動かすことなく小部隊を周辺に派遣するだけだった為、陸軍中央から批判を多く浴びていました。そして、西南戦争の時にはこの時の批判に対抗する為か、急いで出動したものの、連隊主力とその他の部隊との連絡がバラバラに進出することになり、植木坂での戦いでは乃木の指揮する部隊がおよそ倍の人数の薩摩軍と戦う事になってこの戦いに敗北しています。また、この時に連隊旗を薩摩軍に奪われるという事件がありました。しかし、当時の陸軍の中には後の陸軍のような軍旗の神聖化はなく、むしろこの時に非常に皇室信仰の強かった乃木が、この事態を異常に重く見て、いわば錦旗と軍旗を同列に見るような思想を持ち、後にこれが広まり軍旗や御菊紋の神聖化が興ったとも言われています。(海軍の軍艦旗や御菊紋のついた部品は最後まで消耗品でした。)
その後も、朝鮮半島で起こった壬午事変に出動するなどしてついには日清戦争にも出動することになります。
北九州 小倉 サンスカイホテル小倉 ザキヤマ
関連する周辺観光情報