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サンスカイホテル小倉界隈の歴史 その21
更新 : 2011/7/25 14:09
こんにちは!サンスカイホテル小倉のザキヤマです。
火野葦平の続きです。(火野葦平−2)
実家を継いだ葦平は労働組合を結成するなど労働運動にも取り組みましたが、検挙されたのち転向して地元の同人詩誌「とらんしつと」に参加して再び文学活動を開始します。その後、昭和12年に召集されて再び兵役につきますが、出征以前に書いた『糞尿譚』が第6回芥川賞を受賞し、戦地で授賞式が行われました。その後は前線勤務から報道部へ配置換えとなって、軍部との連携を深めていくことになります。そして葦平は、前線で戦闘渦中の兵隊達の生々しい人間性を描き、戦地から書き送った従軍記『麦と兵隊』が非常な評判を得ることになり一躍人気作家となりました。出征からの帰還後も「兵隊作家」として有名で、太平洋戦争中も各戦線におもむき、従軍作家として活躍しました。
しかし太平洋戦争が終わると、葦平は国民に対する戦争賛美・煽動を担ったとされて公職追放を受けてしまいます。追放解除後は、若松の「河伯洞」に住み、東京・阿佐ヶ谷の「鈍魚庵」を飛行機で往復するなど活動し、自伝的長編『花と竜』や自らの戦争責任に言及した『革命前後』など数多くの作品を発表して、再び流行作家となりました。
そんな中、葦平は昭和35年に若松の自宅書斎で睡眠薬による服毒自殺をして亡くなりました。これは当時の60年安保闘争などとの関係があるなど諸説あります。
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