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本日1/18は世界3大大火である「明暦の大火」発生日!
更新 : 2023/1/18 12:32
1月17日は阪神淡路大震災が起こった日付ですが、翌日の日付1月18日(明暦3年、新暦では1657年3月2日)に起こった『明暦の大火』は『明和の大火』『文化の大火』とともに江戸三大大火と言われ、その災害規模は江戸時代最大であり、ローマ大火・ロンドン大火とともに世界三大大火とさえ呼ばれています。外堀以内のほぼ全域、江戸城や多数の大名屋敷、市街地の大半を焼失し、死者数については3万〜10万と記録されています。
焼失した江戸城天守は、その後再建されませんでしたが、この大火を契機に江戸の都市改造が行われ、御三家の屋敷が江戸城外に転出し、武家屋敷・大名屋敷、寺社が移転しました。また、市区改正が行われるとともに、防衛のため千住大橋だけであった隅田川の架橋(両国橋や永代橋など)が行われ、隅田川東岸に深川など市街地が拡大されるとともに、吉祥寺や下連雀など郊外への移住も進みました。さらに防災への取り組みも行われ、火除地や延焼を遮断する防火線として広小路が設置されましたが、現在でも上野広小路などの地名が残っています。幕府は防火のための建築規制を施行し、耐火建築として土蔵造や瓦葺屋根を奨励しました。
【火元の諸説】
『本妙寺失火説(振袖火事)』『幕府放火説』『本妙寺火元引受説(老中・阿部忠秋の屋敷説)』他諸説ありますが、冒頭の『振袖火事』が興味深いのでご紹介します。
【振袖火事】
上野の神商大増屋十右衛門の娘おきくは、花見の時に美しい寺小姓を見初め小姓が着ていた着物の色模様に似せた振袖をこしらえてもらい毎日寺小姓を想い続けた。そして、恋の病に臥せったまま明暦元年1月16日、16歳で亡くなった。
寺では法事が済むと、しきたり通り振袖を古着屋へ売り払った。その振袖は本郷元町の麹屋吉兵衛の娘お花の手に渡ったが、それ以来お花は病気になり、明暦2年の同じ日に死亡した。振袖は再び古着屋の手を経て、麻布の質屋伊勢屋五兵衛の娘おたつのもとに渡ったが、おたつも同じように、明暦3年の1月16日に亡くなった。
おたつの葬儀に、十右衛門夫婦と吉兵衛夫婦もたまたま来ており、三家は相談して因縁の振り袖を本妙寺で供養してもらうことにした。和尚が読経しながら振袖を火の中に投げ込んだ瞬間、突如吹いたつむじ風によって振袖が舞い上がって本堂に飛び込み、それが燃え広がって江戸中が大火となった。
海外の文献にも記録があり、世界3大大火と言われる所以でしょうか?
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