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    合元寺と赤壁伝説

    更新 : 2014/8/11 7:13

    おはようございます!こんにちは!こんばんは!Mでございます。
    さてNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」は本能寺が終わり、舞台が九州に移ろうとしています。
    黒田孝高(官兵衛)は福岡藩の始祖(藩祖は黒田長政)ですが、官兵衛の関わりというと中津も福岡に負けず劣らず深いものがあります。

    今回はその中津から「合元寺」をご紹介。

    この合元寺は、黒田孝高(官兵衛)に従って姫路から中津に移り住んだ浄土宗西山派、開山空誉上人が開基したとされます。
    赤い壁が目立ちますよね。実際に行ってみても、何か独特の雰囲気が醸し出されていました。

    この赤い壁、実は黒田孝高と深い関わりがあるのです。「軍師官兵衛」にも描かれますので、そのお話をさせていただきます!

    それは、戦国時代も豊臣秀吉によって終焉を迎えようとしていた頃のお話。
    城井谷城を中心に豊前一帯を領していた城井鎮房(宇都宮鎮房)は、秀吉の支配と伊予への国替えに反発し、豊前6郡の領主となった黒田孝高と対立していました。
    両者は仲介者を立てて交渉しますが、天正15年(1587年)10月になると対立も頂点に極まり、とうとう軍事衝突が発生。また地元の名門である鎮房が秀吉に対して決起した事で、豊前国人一揆も発生します。
    地の利を有する鎮房が、孝高の息子である黒田長政が率いる黒田軍をゲリラ戦術で翻弄して撃退。また一揆鎮圧の苦戦も加わり、状況に事に業を煮やした孝高は、長政に策を授けます。
    まず本領安堵と鎮房の13歳になる娘・鶴姫を人質とする事を条件に鎮房と和議を結びます。そして、天正16年(1588年)4月20日。鎮房を酒宴と称して中津城へ招き、この時に付き従っていた鎮房の家臣団はこの合元寺に待機させました。そして両者を引き離すと、まず城内で長政は鎮房を殺害。ついで黒田軍は家臣団がいる合元寺に攻め寄せます。さしもの城井軍も多勢に無勢。奮戦したが遭えなく全滅。
    この時に門前の白壁に付着した血痕が、幾度塗り替えても浮かび上がってくるので、ついに赤色に塗り替えられるようになった、とさ。

    合元寺は、赤壁寺とも呼ばれています。霊厳とした雰囲気はこうした歴史があるからかもしれませんね。また、お寺の柱には、当時の刀傷も残っていますよ!

    所在地:大分県中津市寺町973

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