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10月21日、今日は【島津豊久の命日】
更新 : 2010/10/21 2:01
島津 豊久(しまづ とよひさ)は、戦国時代の武将で島津氏出身。父は島津家久、母は樺山善久の娘。妻は島津久保の娘。幼名は豊寿丸。字は又七郎。初期の名は忠豊。官位は侍従、中務大輔。法名は天岑昌運。
天正12(1584)年3月の沖田畷の戦いに初陣し、このときに敵一人を討ち取った。その翌月14日に、肥後国にて元服を果たす。
父の家久は島津義久や島津義弘の弟に当たり、島津氏が豊臣秀吉に降伏した年に没した。父の後を継いで日向佐土原城(宮崎市佐土原町)の城主となる。豊臣秀吉に従い小田原の役や朝鮮出兵など各地を転戦。
秀吉死後、慶長4(1599)年に起こった庄内の乱に出陣し武功を上げる。また翌年(1600年)に関ヶ原の戦いが起ると伯父の義弘と共に西軍として参陣するも、戦いが東軍優位となり、義弘が敵中突破による退却を決意したとき、義弘の身代わりとなって、討死した。
画像は大人気の『戦国BASARA』シリーズに登場する伯父、島津義弘