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11月25日、今日は【楯の会事件(1970)】
更新 : 2011/11/30 21:20
今日は【三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊・東部方面総監部で割腹自決(三島事件)(1970(昭和45)年)】です。
三島事件(みしまじけん)とは、1970(昭和45)年11月25日に、著名な作家・三島由紀夫が、憲法改正のため自衛隊の決起(クーデター)を呼びかけた後に割腹自殺をした事件である。楯の会事件ともいわれる。
1970(昭和45)年11月25日午前11時過ぎ、陸上自衛隊東部方面総監部の総監室を「楯の会」メンバー4人と共に訪問。名目は「優秀な隊員の表彰紹介」であった。総監の益田兼利陸将と談話中、自慢の名刀「関の孫六」を益田総監に見せた後、総監が刀を鞘に納めた瞬間を合図に総監に飛び掛り縛り、人質に取って籠城。様子を見に行った幕僚8名に対し、日本刀などで応戦、追い出した。
三島らは、自衛官と詰めかけたマスコミ陣に向け30分間演説することを要求しそれを認めさせた後、バルコニーで自衛隊決起(=反乱)を促す演説をした。しかし自衛官達からは「昼食の時間なのに食事ができない」と言う不満や、総監を騙し討ちして人質に取った卑劣さ、さらには三島の演説の内容についての反発も強く、野次や報道ヘリコプターの音にかき消されてわずか7分で切り上げた。
総監室に戻った三島は、森田必勝らと共に、上半身裸になり「ヤアッー!」と叫び自身の腹に短刀を突き立てた。この時、介錯人の森田は自身の切腹を控えていた為か、手の震えで二度失敗し、剣道有段者の古賀浩靖が代わって一刃の元に刎ね、続いて切腹した森田必勝の介錯も行なった。
決起に至った理由として自衛隊員たちへ撒いた檄文には、戦後民主主義と日本国憲法の批判、そして日米安保体制化での自衛隊の存在意義を問うて、決起および憲法改正による自衛隊の国軍化を促す内容が書かれていた。日本国憲法第9条第2項がある限り、自衛隊は「違憲の存在」でしかないと見ていた三島は、檄文のなかで自民党の第9条第2項に対する解釈改憲を「日本人の魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因をなすもっとも悪質の欺瞞」と断じていた。演説で三島は自衛官らに「諸君は武士だろう、武士ならば、自分を否定する憲法をどうして守るんだ」と絶叫した。
ノーベル文学賞候補として報道され、多方面で活躍中だった著名作家のクーデター呼びかけと割腹自決は、日本国内だけでなく世界各国で注目を集め論議を起こし、今日まで回想を含め、様々な出版物が刊行されている。