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12月6日、今日は【島津久光、忌日(1887)】
更新 : 2011/12/12 3:59
今日は【島津久光、忌日(1887(明治20)年)】です。
島津久光(しまづひさみつ)とは、江戸時代末期から明治時代初期にかけての日本の政治家。幕末の薩摩藩における事実上の最高権力者で、公武合体運動を推進した。明治政府の内閣顧問、左大臣。玉里島津家初代当主。
位階勲等爵位は従一位大勲位公爵。字は君輝、邦行。雅号は幼少時が徳洋、以後は大簡・双松・玩古道人・無志翁と号した。
島津氏27代当主(薩摩藩10代藩主)島津斉興の五男。同28代当主(11代藩主)島津斉彬は異母兄。同29代当主(12代藩主)島津忠義は長男。次男久治は宮之城家、四男珍彦は重富家、五男忠欽は今和泉家をそれぞれ相続した。曾孫に香淳皇后。玄孫に今上天皇。
鹿児島生まれ。斉興の長子、斉彬との家督争いに敗れるが、1858(安政5)年に斉彬が没し、自身の長子忠義が襲封すると、国父として藩の実権を握る。公武合体運動の中心的な存在となり、1862(文久2)年藩兵千余を率いて上京。尊攘激派を抑える一方、江戸へ下り幕政改革を推進。帰途、生麦事件を起こし、薩英戦争の引金となる。後、西郷隆盛や大久保利通が台頭すると、かれらに政局をゆだねた。維新後、左大臣に迎えられるが、政府の欧化政策に反対し辞官、郷里に隠棲。1887(明治20)年日に死去、享年71歳。