宿番号:348385
SHIRAHAMA KEY TERRACE HOTEL SEAMORE ホテルシーモアのお知らせ・ブログ
12月4日、今日は【ソクラテス、忌日(2011)】
更新 : 2011/12/12 3:33
今日は【ソクラテス、忌日(2011(平成23)】です。
ソクラテス・ブラジレイロ・サンパイオ・ジ・ソウザ・ヴィエイラ・ジ・オリヴェイラ(Socrates Brasileiro Sampaio de Souza Vieira de Oliveira)とは、ブラジル出身のサッカー選手。実弟は同じくサッカー選手だったライー。
サンパウロ大学医学部在籍中にサッカーブラジル代表に選ばれ、医師資格を持つ。医師免許は現役時代に取得しており、「ドトール」(ポルトガル語で医師の意味)の愛称で呼ばれた。1970年代にはアイルランドユニバーシティ・カレッジ・ダブリン医学部で医学研究に従事し、ユニバーシティ・カレッジ・ダブリンサッカー部に在籍しリザーブリーグでプレーした。
ペナルティーキックの蹴り方がきわめて独特であり、ほとんど助走をつけず、蹴る前に一瞬間を作って蹴る。
1982(昭和57)年、1986(昭和61)年のFIFAワールドカップにブラジル代表として出場。 1982(昭和57)年スペインワールドカップの、ブラジル代表中心メンバーの1人で、ジーコ、ファルカン(ともに元日本代表監督)、トニーニョ・セレーゾ(元鹿島監督)とともに黄金のカルテットと呼ばれた。カルテットが紡いだ美しく華麗なサッカーは、今も選手やファンの憧れの的であり続けている。
ブラジルリーグ時代は主にコリンチャンスでプレーしていた。
1989(平成元)年、現役引退。
2004(平成16)年、イングランド下部リーグのガーフォース・タウンAFCと契約し、1試合12分間のみ出場した。
2011(平成23)年12月4日、腸内感染症による敗血症のために死去。57歳没。
191cmの長身。優雅なドリブル。意表を突くパス。彼が長く所属したコリンチャンスは「われわれが目撃した最も素晴らしい選手」とメッセージを出した。黄金のカルテットの一員であったジーコは「非凡な知性があり、ピッチ上の天才だった」と語り、ファルカンは「傑出した人物で、相手によって態度を変えることはなかった」と彼を悼んだ。
黄金のカルテットで、ソクラテスだけが日本に来なかった。現役を引退後、サッカーの現場から完全に離れ、評論活動のかたわら、好きな絵を描いて暮らしていたという。
彼は2003(平成15)年、ジーコが主催するサイトでインタビューで、選手のフィジカル面の向上や戦術の徹底などでスペースが狭くなる一方の現代サッカーを憂え、試合の人数を11人から9人に減らす提案をしていたという。
17