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2月1日、今日は【京都市電開業記念日】
更新 : 2011/2/2 0:23
今日は【京都市電開業記念日】です。
由来は、1895(明治28)年の今日、京都に日本初の路面電車が、塩小路東洞院通・伏見町下油掛間(6.4km)で営業を始めたことにちなむ。
京都市電(きょうとしでん)とは、京都市交通局が運営していた市電(路面電車)である。1895年(明治28)に京都電気鉄道によって日本最初の電気鉄道として開業され、1912(明治45・大正元)年の市営路線開設、1918(大正6)年の全面市営化を経た後、1978(昭和53)年9月30日限りで全廃された。
最初の路線は京都市南部の伏見から京都駅前付近までで、その後、京都駅前から鴨川東方の岡崎まで延長された。その後、京都市によっても1912(明治45)年の4路線7.7km開業を皮切りにして独自に路線建設がなされ、それと競合することになった京都電気鉄道は、均一運賃制への移行のためもあって、市へ1918(大正7)年に買収された。
京都電気鉄道買収後、路線は戦後に至るまで延長され、最盛期は76.8km、車両351両(1957(昭和32)年度)の路線となった。乗客も増え1963(昭和38)年には一日平均564,488人の利用があった。
しかしその後の自動車の普及により乗客の減少がつづき経営が困難となり順次廃止されていった。当時、モータリゼーションの進展、地下鉄の敷設こそが進歩の象徴、大都市の条件とする風潮があり、路面電車を故意に時代遅れのものに貶めるネガティブ・キャンペーンのようなものがあった。定時性を確保し乗客離れを食い止めるためには、1960年代に解禁された自動車の併用軌道乗り入れを再び全面禁止すべきという声もあったが、市は一部の路線を除き実施しなかった。定時性が保てない→運行ダイヤを停留所に提示できない→乗客離れが進むといった悪循環が、意図的に行われたという指摘もあった。
1969(昭和44)年、富井市長在籍時に京都市の新たな交通計画(十文字の地下鉄路線とそれを補完するバス路線網)が可決され、外周線を除く市電の撤去が定められた。市民による存続運動も行われたが、市は拒否。1976(昭和51)年に全面撤去へと計画を変更したのち、地下鉄開業にそなえ1978(昭和53)年に全面廃止され、83年の歴史に幕を閉じた。市電廃止反対を求める署名は27万人に達したといわれている。なお、地下鉄路線網は1969(昭和44)年当時の計画から40年以上が経過した2010(平成22)年になってもすべて完成しておらず、交通局の赤字体質も改善されてはいない。